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人間は、自分の物の見方を変えることに対し、強い抵抗感があります。【耳で聴いて学習|第14章 考察(中編)】

『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著 第14章 考察(中編) P301~P307 

【Q:呼吸法は役に立つのでしょうか?】

A:呼吸法は、特に低いレベルに、”はまって”しまい、下位チャクラにエネルギーが過剰に蓄積されてしまったときに有効です。呼吸法を行うためには、エーテル体とチャクラエネルギーシステムに関する基本的なことを知っておく必要があります。性エネルギーは基底チャクラ(第一チャクラ)に蓄積します。憎悪や羨望(せんぼう)、嫉妬、復讐心、恨みなどのエネルギーは脾臓に、野心、獲得欲、支配欲、攻撃性、自己中心性などのエネルギーは太陽神経叢に集まります。

ハートは愛と赦しのセンターで在り、喉はコミュニケーションや実現、創造性に関わっています。第三の目あるいは額のチャクラは霊的視野、そしてクラウンチャクラ(頭頂のチャクラ)は神意識を司っています。

基本的な霊的/生命エネルギーは通常「気」、あるいはクンダリニーエネルギーと呼ばれ、脊椎にある特殊なチャンネルを駆け上がるだけでなく、身体のつぼと神経システムに沿って、十二の主要な経絡を下り、最終的にすべての重要な臓器に生命エネルギーを供給します。こうしたエネルギーや身体のつぼは、いずれもすべての筋肉や筋群につながっています。これが臨床キネシオロジーの基礎であり、診断や治療の両方に適用されます。エネルギーの流れは、態度や考え方によって変えることができます。臨床キネシオロジーでは、弱い反応を示した筋肉群からどの臓器が弱っているのかを発見するのですが、それは特定の経絡のつぼにつながっています。さらにキネシオロジーテストを行うことで、どのようなネガティブな態度や信念体系が影響しているのかを突き止めることができ、修復するためのアファーメーション(肯定的な言葉や宣言)が処方されることもあります。

全体的に見れば、霊的/経穴エネルギーシステムのエネルギーレベルは、胸骨上端の真後ろにある胸腺が調節しています。胸腺の役目は、身体の免疫機能を助けることです。胸腺は、いわゆる、”キラー細胞”やT細胞を生産して、侵入する細菌を退治します。この胸腺エネルギーは、主にレベル200以下に測定されるネガティブな感情や態度による内的、外的ストレスによって消耗してしまいます。

最も基本的でシンプルで効果的な呼吸法は、霊的なエネルギーを背骨のチャンネルに沿って吸い上げる方法です。霊的なエネルギーは基底チャクラから、ハート、「第三の目」を通って、クラウンチャクラまで上がります。この基本的なテクニックは多くの霊的なスクールで採用され、実践者は吸息のたびにエネルギーが背骨のチャンネルを通って上がっていく様子をイメージします。同時に、エネルギーができるだけ高い位置へ流れるように意識します。このエクササイズは、正式な瞑想に入る前の導入として利用されますが、この呼吸法自体も瞑想の実践に使うことができます。

エネルギーが背骨を通って高位チャクラに流れ込む様子と同時に意識の光をイメージすると、実践者はすぐにエネルギーがシフトし、内なる感覚が変化することに気がつくでしょう。伝統的な身体のチャクラに加えて、クラウンチャクラの上にも霊的なエネルギー体があります。エネルギーが高位チャクラを通過してクラウンチャクラまで上がり、さらに霊的なエネルギー体から神へと上っていく様子をイメージするとよいでしょう。エネルギーは通常、光が、神性の源からやってきた輝く愛のエネルギーとしてイメージします。
さまざまな霊的な学校では、もっと複雑で特殊な呼吸法を教えています。こうしたテクニック(たとえばプラーナーヤーマーなど)を選ぶ前に、キネシオロジーを使って、そのエネルギーレベルを測定し、自分に合っているかどうか調べることをお勧めします。

【Q:こうした霊的なエネルギーシステムや呼吸法は西洋人には馴染みがありませんが、探究者にとっては実践する価値があるものでしょうか?】

A:はい、全般的に役に立つと言えるでしょう。それに呼吸法が特に有効な問題もあります。たとえばセックス中毒の人は、エネルギーを基底チャクラから高位のエネルギーセンターに呼吸して引き上げることによって、解放感を得ることができるでしょう。同様に、解決が不可能に見える嫌悪や嫉妬、非難、憤り、復讐心に悩まされている人は、脾臓チャクラ(第一チャクラ)でブロックされている過剰なエネルギーを解放することができます。過度に野心的で、物質主義的な欲深い人は、太陽神経叢に蓄積されたエネルギーを解放することによって楽になります。悲嘆などの胸の痛みは、息を吸いながらエネルギーをハートから第三の目やクラウンチャクラに引き上げることによって緩和されます。こうすることによって、(喪失感を知覚する)個人的な愛のエネルギーは神の愛に変容します。神の愛は失われることがありません。霊的な理解や気づき、視野が不足している人は、息を吸いながら第三の目にたくさんエネルギーを注ぎ込まなければなりません。

古典的なヨーガ(ハタヨーガは除く)など、ほぼ完全に呼吸法だけに集中する伝統的な瞑想のテクニックがあります。クンダリニー(霊的)エネルギーに影響を与えるこのようなテクニックから得られる主観的な体験については、それを記した興味深い本がたくさんあります。

すべての霊的な実践法は、ナイーブな求道者が想像するより、本来ずっとパワフルなものです。こうした実践法には敬意をもってのぞみ、事前によく調べるべきです。また、霊的な実践者(スピリチュアルプラクティショナー)やヒーラーと名乗る、ありとあらゆる人たちがいます。「買い手注意(買い物をするときは用心を心がけよ)」という格言を肝に銘じて選ぶべきです。ナイーブな求道者は、熱狂的に圧力をかけられて誤った実践法に参加させられたり、いわゆるカリスマ的なヒーラーやサイキック、オーラ鑑定士、チャネラー、霊媒師、予言者、死んだ有名人の言葉を代弁する者を訪ねたりします。また、さまざまな排他的なセクトや神秘主義的なカルトなどの信奉者になるようにしつこく勧誘されイニシエーションを受ければ古代の秘密や霊力を特別に操れるようになると言われることもあります。「誓ってはならない。いかなる誓約も汝を拘束する約束事も、捕らわれの身となるその他すべての確約もしてはならない。そこには隠された因果(カルマ)の罠が仕掛けられている」という教えを忘れてはなりません。忠誠は、唯一神に向けられるべきであり、純粋性と神聖さにかけて、ただ神とわたしたちの関係において成立するものです。いかなる組織も、神から特別の寵愛を受けることはありません。それを謳うすべての組織は、自我(エゴ)から生じる前提と幻想に基づいています。自らを幻想に縛る者は、目に見えないカルマの応報を受けることになります。賢人は、こうした拘束と罠を回避します。誓いの目的が、拘束であることは明らかです。自我(エゴ)はもうすでにたくさんの幻想という重荷を抱えているのですから、これ以上増やす必要はありません。

忠誠や誓いを要求する団体は(なかには、誓いを破ると恐ろしい結果が待っていると言うものがあります)、神より特別な恩恵を受けている、あるいは神秘を知っているといった、特殊性や独占性を約束します。しかし、特別な秘密や忠誠を授与できることなど決してないことを、強く認識しておく必要があります。わたしたちが知っておくべきことは、すでにすべて提示されています。神がわたしたちに隠さなければならないことはひとつもありませんし、同じことがアバターにも言えます。覚醒した聖者や意識の高い霊的な指導者、マスターには隠すものなどありません。ハートの純粋さと誠実さは、秘密とは無縁です。

秘密主義者は覆いであり、ツールであり、意識レベル200以下の”フォース”が利用する手口です。真理には怖れがないので、隠すべきことは何もありません。何らかの意図が隠されているものは、明らかに非統合的であり、マントラやシンボルや秘儀などの内密の情報は、率直に言えばお金儲けか信奉者に対する支配のためのものなのです。

特殊性を約束する組織は、自我(エゴ)の虚栄心をくすぐります。自我(エゴ)は自らの自己陶酔的な欲求を満たすためなら手段を選びません。 歴史を通して、皇帝や独裁者は自我(エゴ)の虚栄心を満たすために、国民を喜んで搾取してきました。自我(エゴ)の誇大妄想は、自らの誤りを認めるよりは、自殺を選びます。

人間は自分の物の見方を変えることに対し、強い抵抗感があります。フラット・アース・ソサエティ(訳注:「地球は球体ではなく平らである」とする組織で、イギリスに最初に設立。)の最後の代表者が最近亡くなりましたが、組織はなかなか変化を受け入れようとしません。というのも、変化を受け入れることは、前言が誤りだと暗に認めることになるからです。

ブッダは、人間の基本的な執着の対象は感覚や感情、そして思考を含む感覚の対象となる物事であると述べています。そのため求道者の多くは、所有物や俗世的な欲望から自由になるために禁欲主義を実践します。

【Q:セックスとお金は誘惑であり、回避すべき罠であると主張する霊的な団体が多いようですが。】

A:確かに重んじるべき伝統ではありますが、これは微妙な問題でもあります。まず、この問題は罪悪感を生み出します。また、あまりに重要視されるために、かえって怖れを作り出します。セックスやお金自体が問題なのではなく、それに執着することが望ましくないのです。無執着の状態であれば、魅了されることも嫌悪することもなくなります。ラーマクリシュナのような教師は、若い男の弟子たちにセックスもお金も禁じました。彼は、それらのエネルギーに触れるだけでも汚染されると言いました。

200以下に測定される欲望や欲求(それらは125です)は、執着を避けるために近づかないことが無難とされています。しかし、セックスやお金に関する欲望は内的に生じるので、実際の行動に移したり耽溺(たんでき)したりしなくても、自我(エゴ)の中に居座り続けます。霊的な修行の初期段階においては、欲望は非常に強いので、回避するという方法が最善かもしれません。感覚的な快楽や物欲を意図的に断念することは、誘惑や本能的衝動を超越する学びとなりますし、それによって霊的な事柄への専心を強めることもできます。

昔から現在に至るまで、多くの有名な”グル”がセックスや権力やお金の中毒となり、巧みな合理化によってその事実を隠蔽してきました。また、富を見せびらかし、セックスを肯定するグルも、多くの追随者を魅了しました。

なぜこのような矛盾が起こるのかも、霊的なテストによって明らかになりました。たいてい、有名な指導者やグルの書いた初期の書物はかなり高い数値が出ます。(通常、400台上位から500台半ば)、けれども、成功を手にし、賞賛を受けるうちに、グルの測定値がひどい場合は200以下まで急落することがあります。そのため、初期の書物を記した頃の指導者と、後の同じ指導者の意識レベルが著しく違っていることも珍しいことではありません。また、最終的に不祥事がスキャンダルになって動揺をもたらしても、残った追随者は組織への服従を正当化するためにそれを否定し続けることがあります。かつてのグルの意識レベルが急落したとしても、当初の書物の測定値は変わりません。

堕ちたグルになおも従い続けることが有害であることは明らかです。かつての信者にとっては非常に痛ましい出来事に違いありませんが、覚醒への道は厳しいものです。献身は、神に向けられるべきで、人格に向けられるべきではありません。ブッダも言っています。「わたしを拠り所としてはいけない」と。

最も興味深く、きわめて重要な例は、コーランを記したとき意識レベルが740であったイスラム教の預言者、ムハンマド(モハメッド)です。コーラン自体は700と測定されています。しかし、ムハンマドは三十八歳になったとき、意識レベルが急激に落ちて130となり、剣を手に取りました。また驚くべきことに、イスラム教が確立するのとほぼ同時期に、原理主義の武装勢力が他国を侵略し、”異教徒”というだけで数十万もの人々を殺戮しました。この侵略はムハンマドの存命中に起こり、彼はこれに参加し、派閥のリーダーになりました。

今日でもイスラム諸国は非常に低い数値に測定されています。社会の特徴として、女性に対して抑圧的であり、残忍性と憎悪が目立ちます。真の神聖さとは、平和と愛であることを忘れてはなりません。とすれば、ムハンマドもいくつかのイスラム分派も、サタン的なエネルギーに支配されているということです。

原理主義の基本的な危険性は、それが社会の最下層民にとって魅力的であり、ジハードの戦士になることで、肥大化した自我(エゴ)が即座に力を手に入れたように感じることです。そして、アッラーの名の下に、殺人の大義名分を手に入れるのです。銃は、神の意図と宗教的熱情のシンボルとなり、”聖なる殺人者”という、霊的には非常に歪んだ結果を生み出します。

イスラム文化の衰退について研究し、報告している現代の学者もいます。「アッラー、慈愛深き者」という名の下に大量殺戮を行うことの不条理さは、幼い子供にとっても明白です。しかし、前述のようにコーラン自体は700に測定されます。したがって、コーランの教えを守ること自体、霊性に反することではありませんが、政治勢力のために真理を貶(おとし)める狂言者に追随すべきではありません。

中編はここまでです。

【耳で聴いて学習】シリーズが、少しずつ、出来ています。youtubeで、【耳で聴いて学習】で検索すると、悟りの部屋チャンネルがヒットします。是非、思う存分活用してください。そして、真実度999の内容は、誰にでも理解できますので、繰り返し繰り返し、愛と平和の啓蒙を自由意志でやっていきましょう。

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