広告革命4.0 ついに未来の広告が動き出す 第四章:広告は楽しい
第四章:広告は楽しい
・広告はエンターテイメント
現在の広告に関する問題点をいろいろと挙げましたが、今流れているCM等の広告はその道のプロが頭を捻り作り出したものなので、広告自体は純粋に面白いものがたくさんあります。面白いCMだけを集めた番組が作られるくらいですから、決して広告自体の質のせいで問題が発生しているわけではないのです。では、なぜ一つ一つの広告は面白いのに、広告が邪魔者になってしまっているのでしょう?それは前述のとおり、広告表示のタイミングです。
例えば、私はアウトドアに興味があり、特にキャンピングカーをしきりに検索しています。アウトドアの雑誌を読んでいて、キャンピングカーの広告が載っていても全く邪魔には感じません。しかし、もしそこに無関係なスポーツカーの広告が載っていたら、きっと邪魔に感じるでしょう。
アウトドア雑誌に載っているキャンピングカーの広告は私にとって興味の範囲内であり、楽しい内容(コンテンツ)なのです。つまり、興味のある人に表示する興味の範囲内の広告は楽しいコンテンツとなりうるのです。
今やアドテクがどんどん進化して、誰にでもピンポイントで広告を届けられる様になりつつあります。ただ、単に興味のある人に広告を届けることは、かなり前から可能でした。
しかし、多くの広告主は、興味関心に紐づくユーザーよりも、新規ユーザ掘り起こしに価値観を置いていたので、ペルソナ(広告を届けたい具体的な人物像)に当てはまる潜在層へのリーチを強めました。その結果として不適切なタイミングでの広告表示が多くなり、広告の価値が奪われていったのです。
既存の広告も時と場合によっては楽しいコンテンツになりうるのであれば、最初からコンテンツを意識して作られた広告はもっと楽しく受け入れられるはずです。
・筆者について
ここで、私(hish)のことを知らない方のために、生い立ちとどういう経緯で広告業界にいるのかを簡単にご紹介します。
生まれも育ちも北海道。温泉で有名な街の出身です。とはいえ、山間の温泉街ではなく、臨海工業都市のすぐ隣町に住んでいました。
高校時代は写真部で部長をしていました。この頃から芸術写真だけではなく、コマーシャルフォトに興味を持ち、当時高額だったアップルコンピュータのマッキントッシュⅡシリーズとアドビ社のフォトショップをバイト代をためて買いました。今思えば、これが私のIT人生の始まりです。高校卒業後、写真家を目指していたわけではないのですが、特に人生の目標もなく、一眼レフを片手に東日本を普通列車一日乗り放題の「青春18きっぷ」で何度も回っていました。人見知りの私は、鈍行列車の車窓から風景写真ばかり撮っていたのですが、そこにぽつんと一人おばあさんが乗っていて、私に話しかけてきました。
青森の方らしく、本当はもっと訛っていたのですが、多分このようなことを言っているだろうと私が理解した範囲で再現します。
「お兄ちゃんどっから来たの?」
「北海道です」
「うち(青森)は不便でさー、病院行くのに汽車で2時間以上かかってさー」
「大変ですね。毎日ですか?」
「いや、週に2回。体調が悪いといけないから」
「普通逆ですね。体調悪い時に行くものでは?」
「薬もらって喋りにいくだけだから(笑)。私はたいしたことないんだけど、知り合いなんて、病院遠いいからろくに医者に見てもらってなくて、この前、亡くなっちゃったよ」
「そういう人多いんですか?」
「多いよ。かかりつけのお医者さんも言ってたけど、医者が足りないんだと。そうだ、お兄ちゃん医者になんなよ」
「はぁ」
というわけで、高い目標を持つことは良いことだと自分を納得させ、医者を目指して勉強を開始します。医学部がある地元国立大に狙いを定め勉強を開始したのはいいのですが、何をやっていいのかわからず、基礎学力もないため、このままでは無理だと思い、特殊な方法を思いつきます。それは、マッキントッシュに標準で付属するハイパーカードというソフトを使って学習ゲームを作り上げることです。クイズ形式やトランプの神経衰弱のような形式で社会の一問一答や英単語などをどんどん覚えていきました。これが功を奏して、メキメキと力をつけ、模試では合格圏に入るようになりました。しかし、現実はそんなに甘くはありません。結局、医学部には合格することができず、同じ大学の工学部に入学することになりました。また目標を失いかけた時に、受験勉強中にパソコンで作ったゲームのことを思い出し、プログラミングの勉強を始めます。
そして、1992年にインターネットに出会いました。まだ、ヤフージャパンも楽天市場もない時代です。自己流でHTMLを覚え、デパートのようなサイトを作って運営していました。今で言うインターネットショッピングモールです。
ここでは、いろいろな新しい試みを行いました。バナー広告の先駆けとも言える実験をしていました。当時のバナー広告は相互テキストリンクを目立たせる目的でテキストの代わりに画像を貼ってクリックさせるものでした。インターネット上でお金をやり取りする土壌ができていないため、相互リンクという形でホームページを宣伝していました。ホームページには大抵、リンクページというものを作って相互リンクやおすすめリンクを掲載していたのです。私はこれを商売にしようとバナーエクスチェンジというサービスを立ち上げました。バナー画像を先方に送ってリンクを張ってもらうのではなく、ホームページに掲載したいバナーサイズを選んで画像のURLを指定し掲載する方式です。
今でこそ当たり前になっていますが、これによって、掲載場所を確保することができ、バナーの内容は広告主によって変えることができるので、私のサイトへの相互リンクを売り出すことができたのです。これはうまくいくと確信していたのですが、当時の通信環境が悪く、画像を外部リンクにしていると、ホームページがなかなか開かなくなります。結局、表示が遅くなるのは困ると、相互リンクを外されてしまいました。そのためリンク先が少なくなってしまい、ビジネスとしてはうまくいきませんでした。また、この当時は、インプレッション数やクリック数という概念が浸透していなくて、リンク先サイト数とそのサイトの訪問者数(カウンターの数)が重視されていた時代でした。広告事業はインフラの問題もあり諦めてしまいましたが、それ以外は順調でした。そのため、ショッピングモールの運営が忙しくなり、私は20代の殆どを外出せず、部屋でのインターネットに明け暮れていました。自立はしていましたが、いわゆる、引きこもりです。せっかく入った大学も中退してしまいました。
その後、当時付き合っていた彼女にパソコンをクラッシュされたり、いろいろあってサービスを続けることができなくなって就職活動をすることになりました。HTMLができると言うだけで、フリーのWEBデザイナーをしていたのですが、作るものがいまいちイケてない。これではいけないと、デザインを基礎から学びたいと思い、デザイン会社に就職することにしました。WEBデザイナー時代にバナー広告などは作っていましたが、本格的に広告と向き合ったのはこの頃からです。
デザイン会社で広告制作の仕事をしていた時の話です。広告主に、「賞を取りたくて広告を出すんじゃないから、しっかり売上につながる広告を作ってくれ」と言われたことがあります。言いたいことはよくわかります。確かに、カッコばかりつけて、結局何がいいたかったのかわからないイメージだけの広告をよく見かけます。そういった広告は、賞レースにエントリーされるのを狙っているのかもしれません。「そういった広告にはしないでくれ」といいたかったのでしょう。しかし、本当に賞をとる、本物の広告はしっかりと結果も伴っています。
有名な賞に輝いた広告は、巷の一見おしゃれなイメージ広告とはレベルが違います。
見る者に強烈なインパクトを残し、ずっと語り継がれるパワーを持っています。骨太なメッセージがしっかりと刻まれており、そこにたどり着くまでのストーリーをなぞるように、必然を紡いで作り上げられた様が見て取れます。かっこいい手法を寄せ集めた、雰囲気だけの広告とは全く別物です。私は、写真を得意としていたので、何が美しいか、どう切り取れば美しく見えるかについてはある程度自信がありました。しかし、画力がないため、どの様にしたら美しく見えるかを表現することは苦手でした。クリエイティブの奥の深さを実感した私は、制作からプロモーションやマーケティングに軸足を置くようになりました。
その後、ハウスメーカーの広告担当などを経て、フリーでWEBマーケティングの仕事をやっていた時に、ヤフーが北海道に事務所を開設するという記事を目にします。ヤフーのパソコン版ページはものすごいアクセス数でしたので、誰も気にしていなかったかもしれませんが、私はヤフーのモバイル版や今後伸びてくるであろうスマートフォン対応の遅れを危惧していました。そこで、合否はともかく、そのことについて詳しく聞きたいと思い、履歴書を送ったのが入社のきっかけです。ヤフー(当時はまだヤフーカスタマーリレーションズ)時代は、ヤフープロモーション広告の運用コンサルタントをしていました。
WEB広告では、ユーザーがどのような広告に触れ、どのような行動をとったかを具体的な数字として把握することができます。広告文を少し変えただけで、広告のクリック率が倍になり、商品購入数も1.5倍になったりします。売上が1億円のお店なら1億5千万円になるということです。広告のチューニングはほんの数秒です。数秒で5千万円を生み出すことができるWEB広告の可能性に驚愕したのを今でも覚えています。それ以来、数字にはかなりシビアになりました。0.1%の違いで結果が大きく変わってくるからです。広告文の言い回しも何パターンか用意してABテストを繰り返します。バナー広告のデザインも、何色かカラーバリエーションを用意したり、配置を逆にしたり、ちょっとした違いでどれだけ結果が変わるのかを何度も試しました。これによって、0.1%の積み重ねで結果が大きく変わることを何度も経験しました。
これは、決して広告に限った話ではありません。
ちょっとしたことで未来を変えることだって可能です。
例えば、私は車を運転していていつも不便に思うことがあります。それは、ハザードランプです。ハザードランプをつけて縦列駐車をしている車の横を通る時、ウインカーを出して車道に出たがっているのか、ハザードランプをつけて停車しているだけなのか、片方のランプしか見えないために区別がつかない事はありませんか?
いつも恐る恐る横を通り過ぎなければいけません。しかし、これを簡単に解消する方法があります。それは、ウインカーとハザードランプの点滅のテンポを変えることです。ウインカーのテンポが「パッツパッツパッツ」ならハザードランプは「パパッツパパッツ」にするだけで、見分けが付きます。最近は流れるように動くウインカーが出てきていますが、これも曲がる時は曲がる方に流れ、ハザードランプの時は、逆側、つまり車の中心方向に動けば区別が付きやすいでしょう。すでに採用されていればいいのですが、もしまだどこもやっていなければ、権利を主張したりしないので、ぜひ、自動車メーカーさん、採用をお願いします。
これもちょっとした工夫で事故が減らせ、大きく未来が変えられる例かと思います。
話をもとに戻して、ヤフー北海道事務所縮小に伴って、主にファッション系ECのトータルソリューションを行っている会社に転職しました。そこでは、広告運用と並行してシステム開発のディレクションも行っていました。主に開発を担当したのが、広告管理システムです。WEB広告は多種多様で、それぞれの管理画面を開いて広告運用を行うことは非常に手間でした。それを一度ログインすれば、1画面ですべての広告媒体のパフォーマンスを確認することができるシステムを作りました。これは自分で言うのもなんですが、非常に使いやすく、このシステムがないと仕事ができない体になりそうでした。(笑)
このシステムの開発に目処が付き、ファッション系以外のクライアント様とも仕事がしたくなり、執筆現在在籍している札幌の広告代理店に転職したのが、2017年です。
ここでは、北海道のみならず、全国の様々なお客様と仕事をさせていただき、仕事の幅も広がりました。とくに、この会社はトータル提案が得意で、数々のプレゼンで勝利を収め、大きな企業と多種多様なお仕事をさせていただいています。とてもいい会社なので、広告のお仕事がありましたら、ご連絡ください。
詳しいことは別の機会にするとして、ざっと今までやってきたことのご紹介でした。
これまで書いてきた、広告についての問題点は、私がユーザー側に立ったときの感じ方で書いたものがほとんどで、今の会社での業務で感じたことは書いていないのですが、広いようで狭い広告業界にいるといろいろな会社の愚痴が聞こえてきます。そこからヒントを得たものが含まれているのは事実です。東京と違い、北海道ではまだまだ古い営業スタイルが残っています。
ハウスメーカーの広報時代は営業される側でしたので、媒体売りがたくさんやってきました。
「こんな広告があるのでぜひやってみてください」と売り込む営業マンに、私は、「で、それをやったら、うちにどんな効果が見込めるの?」と即座に返す意地悪な担当者でした。ノープランでの「買ってください営業」は、共感を得られません。私は、お客様と一緒に同じ目標に向かって進んでいくためのプランを示し、開始後は目標とどのくらいずれがあるかを確認しながら一緒に進むようにしています。
同じ方向ではなく、向かい合ってする仕事では、対立が生まれたり、騙し合いが発生するからです。
まとめ
大学を中退してもなんとか生きていける。
ちょっとした工夫で大きく未来を変えることができる。
パートナーとは共通の目標を定め、一緒にクリアしていくことが大事。
・コンテンツとしての広告
私は、ここまでテレビの問題点などを指摘してきたので、テレビが嫌いなのではないかと思われるかもしれませんが、その逆で、昔から超テレビっ子です。今でも、家にいるときは常にテレビを点けています。経済ニュースやドキュメンタリーが好きでよく見ますが、私が最も好きな番組は『ゴッドタン』というバラエティ番組です。この番組は、かなり尖っているので、好き嫌いがはっきり分かれると思います。ましてや子供にはとても見せられる内容ではありません。(私は毎週欠かさず録画しているので、息子はこっそり見ているようですが。)その中で私が特に好きなのが、『劇団ひとりvsキンコン西野』の企画です。この企画は最初『マジ嫌い5分の1』という企画で、お笑い芸人キングコングの西野亮廣さんが呼ばれたのがきっかけで、劇団ひとりさんとのバトルが始まりました。両者は共にお笑い以外でも多方面で才能を発揮していますので、お互いをライバル視していたかもしれません。その二人がゴッドタンでは(低俗ではありますが)真摯にお笑いに向き合う姿を見せてくれます。番組で何をしたかは置いておいて、私は二人の『才能の振り幅』に感動すら覚えました。それ以来、私は二人に関連する書籍や作品に興味を持ち、何点か購入させていただきました。番組で両者の書籍が紹介されたり、宣伝が挟み込まれたりしたわけではないのにです。この一連の消費行動について、私は一度も広告と出会わずに商品を購入しています。
逆に言うと、消費行動を喚起させるものを広告として使う方が本来の広告目的を達成できるということです。
つまり、コンテンツの途中に広告を差し込むやり方より、コンテンツ自体で何かを訴求する方がユーザーに響きやすいのです。
良い例が、NHKの朝ドラです。CMがないNHKのドラマがCM事例というのも皮肉な話ですが、2018年10月から2019年3月まで放送された「まんぷく」を例に取ると、このドラマは、日清食品の創業者、安藤百福氏が奥様と二人三脚でインスタントラーメンを開発する話が元になっています。このドラマが放送された後、チキンラーメンが過去最高の売上を記録したそうです。今までいろいろなチキンラーメンのCMを流してきたのにもかかわらず、チキンラーメンという名前を一度も出していないドラマの影響で売上が上がったのです。商品名を全面に押し出すのではなく、開発秘話を紹介することで、ユーザーの共感を得られただけでなく、商品購入欲求まで喚起させたということになります。
話は変わりますが、私はイソップ寓話の『北風と太陽』がとても好きです。
第1章で私が使った「北風手法」とはここから来ています。
「北風と太陽」を知らない人はあまりいないと思いますが、念の為、簡単に内容を説明しておきます。
ある日、力自慢の『北風』が『太陽』に勝負を提案します。
そこへちょうど旅人の男性が通りかかります。
それを見た北風は、「旅人が着ているコートをどちらが脱がすことができるか」で勝負しようと言い出します。
最初に北風が挑戦し、旅人めがけて、思いっきりヒューヒューと風を吹かせます。
旅人は寒さでたまらずコートをしっかりと着込んでしまいました。
がっかりした北風。次に太陽の番がやってきました。
最初の条件より厳しく、コートをしっかり着込んだ状態からのスタートです。
太陽はただポカポカと日差しを旅人に送りました。
最初は心地よい日差しに、コートをしっかり押さえていた手が緩んできます。
さらに燦々と輝く太陽に汗ばむ旅人。
ついには暑さにたまらず、自らコートを脱いでしまいました。
この勝負は太陽の勝ちとなりました。
この物語の教訓は、力づくで他人に行動を強いるよりも、自ら行動を起こす働きかけをするほうが早く目的に達することができるということです。
これは人を動かす場合の行動心理学にも当てはまります。
今の広告システムをこの物語に当てはめると、北風型の広告がほとんどです。広告を見てくれないからといって、どんどん、無理やり見せようとしても、ユーザーはアドブロッカー等を使って頑なに見ないようにするでしょう。
これでは、「良い製品さえ作れば、目に触れる数が増えるほど売れる」だから「無理矢理でも露出を増やせば売れる」という考え方と一緒。これは、マーケティング1.0の時代遅れな手法です。
逆に、太陽のようにコートを脱ぐシチュエーションに自然と持っていけば、うまくいくことが多いはずです。つまり、広告が見たくなるように、もしくは、広告という意識すら持たせずに興味を持ってもらえばよいのです。前者がマーケティング2.0なら後者はマーケティング3.0まで考え方が進んでいると言えます。すなわち、楽しく見ているうちに消費行動を喚起される「コンテンツのような広告」をもっと作ればいいのです。
実際に、太陽型に一見近そうなインターネット広告があります。
インフィード広告というディスプレイ広告の一種です。
これは、ニュースサイトの記事タイトルの間に、あたかもニュース記事のように広告タイトルを紛れ込ませることで、違和感なく(もしくは記事と間違って)広告をクリックさせることができ、普通のディスプレイ広告よりもクリックされやすい広告です。
クリックされた飛び先もニュース記事のようにしている場合は、「違った」と思って、元のページや別のサイトに行ってしまう確率(直帰率)が低くなり、広告効果が高くなる傾向があります。
このような、ニュースサイトの記事と溶け込ませている広告をネイティブ広告と呼びます。
ただ、このような広告はユーザーの警戒心を解かせて(もしくは誤解させて)広告ページへ呼び込もうとしているので、ユーザーとの信頼関係は決してよくなりません。
まだまだ北風と太陽の中間ぐらいといったところでしょうか。
もしも、ゴッドタンや朝ドラが、出演者の作品やインスタントラーメンが売りたくて番組を作っていたなら、それはまさに、太陽型広告と言えるでしょう。
まとめ
テレビは面白い。
北風手法と太陽手法なら太陽手法が有利。
・企業とユーザーをつなぐ感謝のしるし
誰だって何か熱くなるものが一つぐらいはあるはずです。
その情報を熱心に収集し、意見や要望、日頃の想いを作り手にフィードバックしてあげたら、作り手はきっと喜ぶはずです。たとえそれが、厳しい意見であったとしても、次に作るものの改善につながるからです。
企業は、寄せられたご意見をもとに、改善された新商品を作ってユーザーに還元しますが、もっと意見を言ってくれたユーザーに直接感謝の気持ちをとどけたいはずです。
未来の広告ならそれが可能です。
ここで、価値について触れておきたいと思います。
「広告が価値を失っている」「広告に価値を与えるシステムが必要」と述べました。
ところで「価値」ってなんでしょう?
「価値」=「お金」としてしまうと、いろいろな誤解が生まれます。これを
「価値」=「笑顔にさせられるかどうか?」
という定義にしてはどうでしょう?
笑顔を奪うものは価値がない。たとえお金を生んだとしても。
薄ら笑いも、苦笑いもだめです。
自分がいくら笑ってもだめです。
相手を笑顔にできる力こそ、価値を生み出す能力です。そう考えると、お笑い芸人は相当ポテンシャルがあると思います。その事にしっかりと気づいている芸人さんがいます。先程ご紹介したキングコングの西野亮廣さんです。
西野亮廣さんは著書「新世界」の中で、今は貯金の時代ではなく、貯信(信用を貯める)の時代だと言っています。
私もまったくその通りだと思います。ここでいう、信用の作り方は人それぞれです。
私はもっと掘り下げて、人類の根源的な遺伝子に組み込まれた価値観として、価値があるモノや事柄に対して、人は自然と笑顔になると考えます。
そして、沢山の笑顔を生めば、信用も生まれます。
ちょっとした親切くらいの笑顔では信用までは生まれないかもしれませんが価値は確実にあります。そういった行為の積み重ねで、信用力をためていく時代が実際に来ています。
クスッと笑わせることも、大笑いさせることも、嬉し泣きさせることも、それぞれ価値ある行為です。
何かをする時、その活動によって笑顔が生まれるかどうかを、価値基準として設定してみませんか?
笑顔は世界共通なので、ドメスティンクな通貨よりずっとグローバルな価値基準となるはずです。
ある会社の広告で「私たちの目的は、お金を集めることじゃない。地球上で、いちばんたくさんのありがとうを集めることだ。」という文章があり、SNSで炎上していました。これは私が言いたいこととはちょっと違っていて、企業の目的はお金を集めることで問題ないと思います。その価値提供として、笑顔を生み出すことをすればいいのです。その結果として「ありがとう」と言われることもあるでしょう。ただ、「ありがとう」自体に価値があるわけではないことに気付くべきです。「笑顔」が無意識の反射行動なのに対して、「ありがとう」は社会的な意識的活動だからです。つまり、意識的活動は、その人の育った環境や社会的立場などで変わってくるため、サービスを提供する側がコントロールすることが難しく、それを目的化するということは、受け手の行動をコントロールしようということなので、違和感が生じるのです。
価値観は人の数だけ存在します。どういったものに価値があるかは、人それぞれ個別に決めれば良いのです。誰も見向きもしないちっぽけなものでも、自分にとっては命の次に大事なものかもしれません。価値基準を人に頼るのはもう古いのです。
自分が笑顔になるモノやコトにどんどん投資しましょう。
投資するのは、お金でも時間でも構いませんが、もっといいものが技術の進歩によって生み出されました。それがトークンと呼ばれるブロックチェーン上で取引可能な次世代価値基準です。トークンはいろいろな価値を同じモノサシで取引できるようにしてくれるのです。見えない価値をトークンという見えるものに変換し交換ができるようにします。これによって、企業の「感謝の気持ち」をトークンに変換し、直接ご意見を頂いたユーザーに届けることが可能になるのです。
この仕組を未来の広告で使いたいと思っています。
まとめ
企業とユーザーを直接結ぶ事で新たなコミュニケーションが生まれる。
笑顔になれることは価値のあること。
いろいろな価値観をトークンという単位で共通化できる。
・広告が広告ではなくなる日
広告=広く告げるのは、情報が氾濫する前の、マスコミが元気だった時代の手法です。
今は、沢山の情報に囲まれ過ぎて、いちいち情報に目を奪われていては生きていけない時代です。そういう環境に揉まれた現代人は、本当に自分に必要な情報だけを選択的に見る能力が自然とついているのです。広く告げられた情報は、他人事の情報です。
SNSの情報によって購買行動が起こっている原因は、SNSコミュニティはマス媒体に比べて非常に小さく、構成員は自分の身近な人がほとんどなので、情報を自分事として捉えやすいからです。リアル社会での口コミと呼ばれるものは、更に構成員の数が減り、多くの場合、1対1で行われます。
つまり対話です。
広告が対話を始めたら、広告は今までの広告の殻を破り、口コミ以上のコミュニケーション手段となるでしょう。そうなれば、もう、広告を広告とは呼びたくなくなるはずです。各企業個別の情報と一対一で向き合うようになるからです。つまり個告です。
最近の広告で近いものがチャットボットを使った広告です。ラインの公式アカウントなどでよく見かけます。
タイムラインに、「キャンペーン内容を教えて」と書き込むと、キャンペーン内容が表示されるものです。これがもっと進化して、優秀なAIが組み込まれれば、しっかりと対話ができるようになる日が近いうちに来るでしょう。
そうなれば、広告が新たなコミュニケーション手段として発達していくでしょう。
広告が私達の生活の中で無くてはならない存在になります。
邪魔だった広告が、そのような存在になることをあなたは想像できますか?
最初はスマートスピーカーやスマホアプリ形式で、あなたに合った情報を対話形式で提供し始めます。そのうち、AIがあなたのパーソナリティを理解し、親友のようにいろいろな相談に乗ってくれるかもしれません。
昔、AIBO(アイボ)という犬型のペットロボットが流行りました。傍から見ると単なるおもちゃに見えるのですが、購入者には死なないペットとして本当のペットの様に可愛がられていたようです。しかし、製造元のソニーがサポートを終了したために、死なないペットが故障してしまうと結局動かすことができず、死亡状態となってしまいます。有志による修理はその後も続いていたようですが、部品の再利用に提供された個体(検体と呼ばれるくらい愛されていた)など、実質の死を迎えたアイボに対して、アイボの愛好家は合同で葬儀を行うくらい、家族の一員となっていたようです。
広告(正確にはそれを伝えるAIの入った媒体)がそれくらい愛される存在になる日がきっときます。本当に。
まとめ
広告は究極のコミュニケーションである対話形式になる。
AIが進化して便利な端末から秘書や親友のような存在になる。
広告が愛される存在になる日が来る。
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