【服部奨学生インタビュー】 第15期奨学生/KIM BEOMJOON(大阪大学)
服部国際奨学財団には、年齢や国籍、専門分野を問わず、多くの奨学生が在籍しています。今回は、名古屋市瑞穂区「東山荘」にて、第15期服部奨学生・KIM BEOMJOON さんのロングインタビューを実施しました。博士後期課程の学生として、作家として、ラッパーとして、服部奨学生として、BEOMJOON さんの多彩な活動を取り上げます。
服部国際奨学財団との出会い
山中
研究だけでなく、多方面でご活躍のBEOMJOONさんですが、まずは読者の方に向けて、どんな活動をなさっているのか、簡単にご紹介いただけますか。
BEOMJOON
僕は韓国出身で、2010年に留学生として来日しました。現在は大阪大学大学院で研究をしつつ、関西を拠点にラッパーとしても活動しています。音楽活動については「Moment Joon」という名前で活動しています。
山中
インタビュー前にお話ししたんですけど、実は僕も元々リスナーだったんですよ。中学生ぐらいから、父の影響でヒップホップを聴き始めて。最初に聴いたMoment Joonのアルバムは『Passport & Garcon』でした。
こうしたラッパーとしての活動だけでなく、執筆活動も精力的になさっていますよね。
BEOMJOON
2019年に、僕自身の徴兵経験をもとにした小説「三代(抄) 兵役、逃亡、夢」を『文藝』(河出書房新社)に掲載しました。それから2021年に、岩波書店から『日本移民日記』というエッセイ集を刊行しました。博士研究が落ち着いたら、一度執筆に打ち込みたいと思っています。エッセイや小説など、まだ世の中にお届けできるものが結構あると思いますので、頑張りたいです。
山中
昨年(2023年)10月に刊行された『ダーリンはネトウヨ』(明石書店)では解説も書いていましたよね。
服部奨学金に応募したきっかけは何だったのでしょうか?
BEOMJOON
以前までは、別の財団から奨学金をいただいていたのですが、年齢制限によって受給資格を失い、何とか受給できる奨学金がないか探していたとき、服部奨学金を見つけました。服部国際奨学財団は、国籍や研究分野にかかわらず、幅広い年齢の学生を募集をしていて、当時「唯一ここなら応募できる」と知った時は本当に嬉しかったです。
応募時には30代でしたし、国籍も日本ではないですし、さらに文系だったので、自分に開かれていたドアは非常に少ない印象でした。 多様な人に扉が開かれている財団だという印象は、採用していただいた今でも変わりません。
山中
文系で、さらに人文学系となると、特に間口が狭い印象がありますね。
BEOMJOON
でもこの歳になって、それこそ自分が作った音楽や文学で商売をしてみると、支援が少なくなる理由や理屈もなんとなく理解できる気がします。 どうしたって、金銭的な利益が見えにくいんですよ。
山中
人文学研究への支援は、半ば「投資」的なものだと僕は思っていて。 今すぐ、何かを大きく変える力はないかもしれない。それでも、長期的な視点でみれば、確かに社会の根源的な問題を解決する可能性を秘めている。 そういう意味での重要性って、なかなか伝わりづらいところですからね。
BEOMJOON
どんな国籍や年齢であっても、服部国際奨学財団は、その潜在的な可能性に賭けてくださる。 その器の大きさが、本当にすごいなと思います。 若者のビジョンや、その先の未来を見つめる力があり、そこを信じて手を差し伸べてくださる。 僕にとっての恩人です。
言葉の「意味の取り戻し」
山中
大学院では、どのような研究をなさっているのでしょうか。
BEOMJOON
専門は音楽学で、僕はポピュラー音楽について研究しています。 その中でもヒップホップ、特にラップに元々とても興味があり、日本とアメリカのヒップホップにおいて、差別用語がどのように使われているのかについて、研究しています。
山中
具体的にはどのような点に注目しているのですか?
BEOMJOON
「reappropriation」──僕は、言葉の「意味の取り戻し」と訳して使っていますが、差別を受ける側の人が、自分に浴びせかけられた言葉を自ら使うとき、堂々と使ったり、その言葉に異なる意味合いを付加してポジティブな文脈で使ったりすることがあります。 それが被差別集団に広がることで、元は誰かを差別するために使われた言葉でも、また違った意味に変化したり、新たな使い方が広がったりする現象が起こり得ます。
音楽の中でも特にヒップホップでは差別用語を自ら使う場合がとても多いので、修士論文まではそういった現象にフォーカスを当てていました。 今は、言葉の意味を取り戻す・取り戻さないという現象だけではなく、もっと複合的な使い方まで視野を広げて、差別用語が音楽の中でどう使われているかについて考えようとしています。
山中
なるほど。 差別用語を逆手に取って、差別を受けている集団が、自らのアイデンティティを示す代名詞的なものとして用いることで、言葉の「意味の取り戻し」、変性が生じるわけですね。 「クィア」や、ヒップホップの分野では「Nワード」を想起します。
BEOMJOON
実際に、主に「Nワード」と、あとは「bitch」を中心に研究しています。 特に「bitch」という言葉については、アメリカのヒップホップでも、日本のヒップホップでも頻繁に使われる言葉なので比較しやすく、過去の議論も蓄積されているため参考にしやすいです。 あとは個人的に「チョン」という言葉についても注目しています。
Bad Bitch 美学、zoomgals、エンパワーメント
山中
自己表現的に「bitch」を使う例でいえば、Awichの「Bad Bitch 美学」が地上波でもライブパフォーマンスされて、注目を集めていますよね。 この曲でも、ラッパーによって「bitch」の文脈が明確に性的である場合もあれば、必ずしもそうでない場合もあると思います。 昨今の日本における「bitch」の用法は、海外と比べてどのような特徴があるのでしょうか?
BEOMJOON
おおむねアメリカでの用法と大差ないように感じますが、ギャル的な表象と関連して、固有のコンテクストを獲得しつつあると思いますね。
山中
zoomgalsとか、ですかね。
BEOMJOON
そうですね。この点については僕もまだ研究中です。ただ、「bitch」という言葉には、そもそも「Nワード」などと比べて、言葉の「意味の取り戻し」が生じにくいのではないか?という議論もあるんですよ。 差別用語の「意味の取り戻し」が起きるには、差別する側とされる側、つまり外集団と内集団の境界が、ある程度はっきりしている必要があります。
「bitch」の場合、例えばラップの場合にも顕著ですが、女性だけではなく、男性に対しても侮蔑的に投げかけられますよね。 つまり、差別の根底に、必ずしも特定の生まれ持った属性があるわけではなく、ある行動をしている人々が「bitch」と呼ばれる。 ここには「Nワード」ほど明らかな外集団/内集団の境界はなく、むしろ流動的だと思います。
山中
確かに「Nワード」のように、人種差別と明確に、しかも密接に結びついた差別用語と比べると「bitch」は性質が違いますね。 「Nワード」も、先ほど言及があった「チョン」の場合も、生まれた時点で、まずその差別の構造に組み込まれてしまう。
そうすると「bitch」では、「意味の取り戻し」は生じにくいかもしれないですが、先ほどのギャル的表象との結びつきに見られるように、異なる意味を獲得しつつあるように思えます。 こうした流れは、今後エンパワーメントにも繋がっていくのでしょうか?
BEOMJOON
アメリカのヒップホップもそうですが、日本のヒップホップでも、ここ5, 6年ぐらいで女性ラッパーたちが活躍するようになってきました。 そのことに僕自身、とても勇気をもらったんですよ。 夢を見ること自体できなかったような時代から、日本のラップを聴いて、ラップをしてきたので。
まだこれからだと思いますが、少なくとも、そうやって希望を持てるような時代にはなってきたんじゃないでしょうか。ヒップホップ、ラップが、日本の社会的な不条理を真正面から歌える時代に近づいてきていると思います。
ラッパーとしての14年間
山中
BEOMJOONさんは、研究も音楽活動も幅広く活躍されていますが、ヒップホップに出会ったのはいつですか?
BEOMJOON
初めてラップを書いたのは11歳のときで、録音するようになったのは中学生になってからですね。 でも当時は学祭のステージで歌うとか、学内の域を出ないレベルでした。
今のように外の世界とつながったのは、2010年に日本に来てからです。 大学のヒップホップサークルに入って、そこでローカルのDJイベントに出演していた先輩に勧められて、梅田サイファーのpeko君が主催するイベントなどに出たのがきっかけで、活動が始まりました。
山中
そうすると、もう14年目ですか。振り返ってみていかがですか?
BEOMJOON
すごく変わった部分もありますし、根本的に変わってない部分もあります。 変わってない部分は、やはり自分自身が生きている環境の中で「起きたことを書く」こと。 そのために日本語が必要で、こうして書いているんだと思っています。 必ずしも、日本語が美しいから、ラップに適しているから使うというわけではなく、自分の体験や感情を、自分と近いところで経験している誰かに届けたいという想いから始まって、それがどんどん広がってきました。 そこは活動当時から変わらないところです。
でも、ラップに対する自分の思想というか、ディシプリンはとても変わりました。 以前は理想的なラップが明確で、そこにどれだけ近づけるか?という、自身のスキルとの戦いだったんですが、最近は「目の前の音楽を通してどんなことを感じてもらいたいのか?」という目標が明確になり、その目標を達成するために「どう聴いてもらうか?」という工夫をするようになりました。
山中
以前、BEOMJOONさんのインタビュー記事で、他の方と楽曲を作る際に、企画書を作って渡すというエピソードを読みました。そこでも「どう聴いてもらうか?」を念頭に、方向性を擦り合わせていくんでしょうか。
2023年末にリリースされた『Only Built 4 Human Links』は全曲 Fisong との共作でしたし、『Passport & Garcon』でも Gotch (ASIAN KUNG-FU GENERATION)や 蔡忠浩 (bonobos)、あっこゴリラ など、多数の客演を迎えていましたよね。
BEOMJOON
やっぱり曲によるんですけど、それでも「聴いたリスナーに何を感じて欲しいのか」は伝えています。 アルバムの場合、作品全体の構成や流れをふまえて、この曲ではこういったものを届けたい、それで貴方を起用した理由はこうで、こういうことをお願いしたい…という感じで、映画監督みたいなアプローチになりますね。
引退宣言から『Only Built 4 Human Links』まで
山中
『Only Built 4 Human Links』の制作では、ほぼ2, 3ヶ月音楽漬けの日々だったんですよね。 あれだけの曲数があって、それぞれの曲で「リスナーに何を感じて欲しいのか」を考えるとなると… 気が遠くなりそうな作業ですね。
BEOMJOON
やっぱりレコーディングは難しいと感じますが、リリックを書くことは世界で一番楽しいんですよ。 僕は、一度歌詞を書いたら、それを捨てることはほとんどないんです。 いつも、楽曲を制作する際の意図や意義に基づいて詩を書くので、没になるものがない。
ただそうやって没頭していくなかで「音楽を楽しむ自分」というものがなくなってきたような気がして。 『Only Built 4 Human Links』では、それを取り戻したいという気持ちもありました。 だから実際、リスナー側の目線は一旦置いておいて、自分がその音楽を楽めるかどうかも気にしながら作っていました。 振り返ってみると、すごく楽しかったですね。
山中
『Only Built 4 Human Links』がリリースされるより前に、「次のアルバムで引退する」という記事を読んだんですが、このアルバムが最後という訳ではないんですよね?
BEOMJOON
僕の引退宣言は、「次のアルバムを最高のアルバムにする」っていう約束付きだったんですよ。 引退宣言についてはネットニュースでも取り上げられましたが、肝心の約束が書かれてなくて、「MOMENT JOON、引退」というメッセージだけが一人歩きしてしまった。
今後の活動は、最高のアルバムを出すための修行として位置づけています。 リスナーとの約束を果たすために、自分自身の表現力を伸ばしていく必要があって、またそのために、楽曲を出していく必要がある。 最後のアルバムについては、タイトルも、コンセプトも全部考えています。
山中
なるほど。リスナーとして非常に楽しみです。
服部奨学生としての活動
山中
ちょっと僕が知りたいことばかり聞いちゃってました(笑)奨学金の話題に戻ります。
服部国際奨学財団の特徴として、奨学生同士が交流するイベントがたくさん開催されている点が挙げられます。特に興味を持ったイベントや行事などはありましたか?
BEOMJOON
正直、採用いただくまでは、ここまで多彩な交流機会があるとは知りませんでした。 実は面接の際に「奨学生による研究発表会を企画したらどうか」と提案してしまったんですが、すでにやっていると聞いて驚きました。 服部財団は、すごく活動的ですよね。
山中
ほかの財団は、あまりここまでの活動はないですね。 特に奨学生同士の交流はあまりないと思います。
BEOMJOON
ほかにも、メイクアップ講座や、スポーツを通じた交流など、楽しそうなイベントがたくさんあって惹かれました。 事務局近隣だけでなく、関東や関西など、地区ごとでの集まりもあるのはありがたいと思います。
山中
出てみたいものはありますか?
BEOMJOON
やはり、研究発表会です。 前回、研究発表会の応募の告知を、締切後に知って本当に悔しかったのですが、ほかの奨学生のみなさんの研究のお話をぜひ聞きたいのと、自分の研究の話についても意見がもらえるとすごく面白いと思うので、ぜひ参加してみたいです。
山中
これまでは年に2回ほどの機会だったのですが、今後は、発表機会を増やしていく方針だと聞いています。
BEOMJOON
イベントだけではなく、奨学生へのケアがとても手厚い点も、ありがたかったです。 たとえば、保健師さんに健康相談ができる機会がありましたよね。 先日、重度の顎関節症になってしまって相談をお願いしました。今は歯科医で治療を進めています。 交流だけでなく、奨学生のケアにまで力を入れられていて、本当にすごいなと思っています。
山中
服部財団のように、勉学だけでなく、日々の生活に対するケアも行なっている機関はなかなかないですね。 服部奨学金があったおかげで、生活はどのように変わりましたか?
BEOMJOON
バイトを減らして研究に使える時間を確保できることが、本当にありがたいです。山中さんもご存知だと思いますが、研究ってものすごい時間を要することですよね。物理的な時間だけではなく、心理的に拘束されていない「自由に思考・勉強できる時間」も必要で。そこで服部奨学金の存在は単純に金銭的な支援ではなく、自分を信じてくれる「理解者」として、ものすごく頼りになります。大学生活や就職活動、留学生の場合は在留資格取得などにおいても、そのような「理解者」が居ることは本当に大きな力になります。
人としての可能性を信じてくれる存在
山中
服部奨学生として採用されてから、何か印象深い出来事や、エピソードはありますか?
BEOMJOON
僕自身は研究に対して奨学金をいただいているので、当初は「大学院生としての自分」という側面だけで、服部財団や服部奨学生のみなさんと接したいと思っていた部分がありました。 ラッパーとしての活動、いわゆる課外活動の部分を、どこまで見せてもいいのだろうか、という迷いがあったんです。
でも、あるとき、服部奨学生がコミュニケーションツールとして使っているSlackというアプリで、僕のMOMENT JOONとしての活動について、DMで声をかけてくれた奨学生の方がいらっしゃって。 その時はいきなりでびっくりしましたが、奨学生の皆さんも、財団の方々も、そういった部分をオープンにすることにwelcomeなんです。そうやって、勉学以外の活動などの価値についても見てくださり、応援してくださることに、とても感謝しています。
山中
確かに服部財団は、「どういう研究をしているのか」という表面的な部分だけではなく「その人が社会に対して、どういう影響やインパクトを与えようとしているのか」というところまで見ようとしていますね。
BEOMJOON
勉強や研究がそれだけで完結するのではなく、そこから何かに変わって世の中に出ていく、そのプロセスまでを信じて、一人の人間としてまるごと応援する。 そういった文化が、この財団にはあると思います。
山中
BEOMJOONさんの場合、研究はもちろんですが、音楽活動や執筆活動も含めて、どう社会にアクションを起こしていくのか。服部財団はそこに期待しているんだと思います。
BEOMJOON
いわゆる「大学院生はこうであるべき」というものではなく、もっと根本的なポテンシャルを見出してくださっている。 社会課題に向き合う大学生や大学院生、その一人ひとりを見てくださっている。そんな財団だと思います。
そうした懐の深い支えがあるからこそ、すべての活動に力を注ぐことができ、最大限の力を発揮できるのだと思います。
服部国際奨学財団では、国籍・専門分野を問わず、社会的課題に強い関心と問題意識を持ち、その解決を目指した学修・研究に取り組む学生、また、経済的理由により修学が困難な学生に対して、月額10万円の給付奨学金による支援を行っています。
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