
多様性について考えよう!~障害者・高齢者擬似体験から学ぶ~
服部国際奨学財団は服部奨学金の給付だけでなく、様々なイベントを開催し、服部奨学生に学びの場を提供します。
今回のワークショップは、樋廻拓也さん(名古屋市立大学薬学部)の提案で夏から準備し、12月15日に服部財団事務局2Fで開催しました。
以下は、参加した第16期 服部奨学生の伊豆野さんの当日のレポートです。最後には服部奨学生としての学び、交流、また服部奨学金に応募する学生に向けてのコメントもありますのでぜひお読みください。
自己紹介
第16期 服部奨学生の伊豆野美結と申します。私はお茶の水女子大学理学部生物学科の4年生で、現在は沖縄県の海藻の研究を行っています。

「海藻」と聞くと食用のワカメやコンブをイメージする方々が多いかもしれません。しかしそれだけではなく、海藻は海の生き物に散乱場所を提供したり、酸素を供給したりすることによって水域生態系を支えている重要な生き物でもあります。そんな海藻の保全について研究することで、環境保全につなげていくことを目標に、学部3年生から研究を行っており、大学院への進学を予定しています。
なぜこのワークショップに参加しようと思ったのか
この「多様性について考えよう! 〜障害者・高齢者体験から学ぶ〜」は、様々な「障害」と関わる3人の奨学生の皆さんによって企画されたワークショップでした。「障害」に対し、異なる形での支援や交流をされている皆様が一堂に会するということで、貴重なお話を聞けるまたとない機会と感じました。
また、私は現在株式会社LITALICOという会社でアルバイトさせて頂いており、働くことに障害のある方の就職活動や、就労支援事業所の集客のご支援に関するサービスに携わっています。その一環で障害について勉強中ではあるものの、実際に直接「障害」を抱える当事者の方々と関わる機会や、その困難について体験する機会は中々ありませんでした。
そのため、今回のワークショップを通して、障害への理解をより深めたいと感じ参加させていただきました。
第一部 森美親さんの講演
脳性麻痺により電動車椅子を使って生活されている森美親さんは「社会福祉法人AJU自立の家 自立生活情報センター サポートJ (https://aju-cil.com/)」でのご活動や、様々な大学での講演をされていて、今回は障害とは何か、社会の何が問題なのかについて教えていただきました。当事者である森さんからいただいた貴重なお話の中で、特に印象に残ったことが3つあります。

1つ目は、「インクルーシブ教育(障害のある者と障害のない者が共に学
ぶこと)が遅れている」というお話についてです。お話を受けて、確かに学校で障害を持つ人達と関わったり、障害について深く学んだりする機会というのはこれまでの私の学校生活の中ではあまりなかったように思いました。私の母校には特別支援級がありましたが、そこにいる子達がいるのは知っていても積極的な交流はありませんでした。これまでは分ける方が各々に適した環境で生活できるのではないかと思っていましたが、必ずしもそういう訳ではなく、むしろ私たちや障害者の方々にとって、お互いについて知る機会が奪われてしまっていることもあるのだなと驚きました。そして、これこそが森さんが仰っていた「分けられる社会の仕組み」だったのか、と思いました。
2つ目は、森さんのご講演の全体を通して、「選択肢」というキーワード
が多く登場していたことです。選択肢はいわゆる「健常者」の日常生活の
中に多く含まれています。移動する時、買い物をする時、遊ぶ時でさえも。
例えば上下移動をする際、階段、エスカレーター、エレベーターの3つがあったときに選ぶことができない人がいる、というお話がありました。健常者が多くの選択肢を持てることは本当に有難いことであると感じるとともに、多くの選択肢を持つからこそ、障害者の方々の可能性を広げるお手伝い、そして助け合いができるのではないかと思いました。
私には、足の不自由な父がいて、ひとりで出かけられる場所や行動範囲が限られています。また身につけられるものにも制限があり、元々好きだった靴も、足のために諦めているという現状があります。それらもまた「選択肢」の少なさによるものであり、健常者の私にとっても身近な話だな、と感じました。
これらに関連して、バリアフリーが意識されているものの、迂回ルートを通る必要がある観光地についてのお話もありました。森さんは「とりあえず設置した印象を受ける」と仰っていましたが、私も車椅子を使用していた時の父を支える生活の中で、同様のことを感じたことがありました。例を挙げると、時間のかかるスロープや、遠い場所に設置されたエレベーター等々、枚挙にいとまがありません。これは果たして本当に「バリアフリー」なのだろうか?と感じることも少なくはなく、言葉そのものは世間に浸透しているように見えても、まだまだその実現は遠いのかもしれない、と考えることがあります。
最後の3つ目は、「個人モデル」「社会モデル」のお話です。「個人モデル」とは「障害は個人にあるものであり、個人側の努力により解決するべき」という考え方のことです。それに対する「社会モデル」は「障害は社会の側にあり、社会の側の努力により解決するべき」という考え方のことを指します。
私が現在アルバイトとして働いている株式会社LITALICOでは、障害者の方の就労支援事業や、教育サービスを提供しており、「障害のない社会をつくる」というスローガンを掲げています。これは「障害は社会の側にあると捉え、多様な人が幸せになる社会を作っていく」という意味なのですが、この考え方は今回森さんから伺った「社会モデル」に通ずるものであり、選択肢の少なさの問題解決にとても必要なものだと改めて感じました。
今回お話を伺い、障害者の方々が抱える日常生活における難しさ、そして選択肢を増やしていく大切さを知ったり、これからアルバイトをしていく上で、私のしている仕事が何に繋がるものなのか改めて見つめ直したりするきっかけとなりました。
(株式会社LITALICO https://litalico.co.jp)
第二部 服部奨学生3名の発表及び障害者・高齢者体験
まず、リハビリ支援を行う作業療法士を志す服部楓(第13期 服部奨学生・名古屋大学医学部保健学科作業療法学専攻 B4)さんからは、作業療法士とは何か、どんなお仕事なのかについて教えていただきました。これまでは、「日常に使う動かしづらい場所を動かすお手伝いをする方々」という表面的な理解しか出来ていませんでしたが、「その人に合わせた支援を行うことで、その人らしい生活の中の喜びを取り戻すお仕事」であると分かりました。
中でも、「『奇跡』を取り戻す」という言葉が印象的で、服部さんの発表を通じて、作業療法士というお仕事に対するイメージが少し変わりました。
ここでは片麻痺体験(服の脱ぎ着・箸の使用)を行いました。服を着る体験をした時はからだにピッタリなカーディガンを脱ぎ着したのですが、袖がひっくり返ったり、肩までしっかり着られなかったりして非常に不便でした。今は片手で着られるかどうかを気にして服を選ぶことは中々ありませんが、もし自分が麻痺になった時にはかなり選択肢が狭まってしまうだろうなと感じました。

また、箸で物を掴む体験の時は、利き手ではない方で作業を行ったため、手がすぐに疲れてしまい掴みづらかったです。また、床に落とす、遠くに飛ばすなどすると中々拾えないことに気づきました。実際に落としてしまった時の「どうしよう」という焦りは忘れられません。
一連の体験後に、服部さんが提案する片麻痺の方への服の脱ぎ着作業についても教えていただいたのですが、それは「麻痺している側から服を着る」というものでした。私含め、体験した人達のほとんどが、動かしやすい方から動かそうと思ってしまうからか、動く方の腕から袖を通してしまっていたのですが、肩の可動域のことを考えると実際服部さんのご提案の方が簡単に服を着られそうだと感じました。
次に、看護師を志し認知症について卒業研究をされている片山京香(第13期 服部奨学生・愛知県立大学看護学部B4)さんからは、認知症や老化に伴う身体機能の変化について教えていただきました。また、発表の中で取り上げられた、「認知症希望大使」の皆様の存在について初めて知りました。「認知症希望大使」の方々のご活動を通して、認知症となった方々の生の声を聞くことができたり、自分らしく生きる姿を見ることができたりするとの事で、興味を持ち実際に調べるきっかけとなりました。こうした方々が活動されている姿は、認知症への見識が深まったり、当事者の方々に接する時のヒントをもらえたりするというだけでなく、認知症になった方々にも勇気を与える内容だと感じました。

ここで取り組んだ高齢者身体体験では、まず全身に重りをつけ、関節にサポーターをつけることで非常に動かしづらい状態になりました。その後視界が狭まる眼鏡をかけ、杖を持ちながら事務局内を歩いてみました。もう少し動けるのではないかと思っていましたが、椅子から立ち上がることさえ億劫になり、杖の重要性がとてもよく分かりました。また、視界も悪いことから、外に出るのも怖くなってしまうだろうなと感じました。
加えて、指先と目の変化の体験については、かなり近くに物が来ないと文字が読めなかったり、小銭の判別がつかなかったりしました。色の判別も難しかったです。日常生活で多くの困難を抱えそうで、諦めてしまうことも増えてしまうかもしれないと感じました。
体験後、感想を共有している際に伺った「老いは徐々に進むから気づけ
ないこともある」という森さんのお言葉と、それを受けての「そのまま運
転してしまうこともあるかもしれませんよね」という片山さんのお話を聞
いて、親戚や周囲の高齢の方々、そして自分の老後についても深く考えるきっかけになりました。特に車が必須な地方に住んでいる祖父母のことを考えると、他人事ではないと感じました。
最後に、障害者問題研究会というサークルに所属する樋廻拓也(第14期 服部奨学生・名古屋市立大学薬学部薬学科臨床教育研究センターB3)さんから、視覚障害体験、サークルの活動とその意義について教えていただきました。

まず、視覚障害体験では、アイマスクを着用した状態での白杖を用いた移動とその介助、さらに計算問題に取り組みました。移動については、白杖を使うのが初めてで、物の位置を把握するのにとても役立つことが分かりました。そして、障害物にはかなり近づかないと気がつけないということも分かりました。他の奨学生の方のご感想で、「声をかけてもらわないと着いたことにすら気がつけない」とあったのですが、本当にその通りでした。「着いたよ」と言われた時の驚きが忘れられません。一人で誰の声掛けもなく歩くとしたら、たくさんの壁や障害物にぶつかってしまうだろうなと感じました。
また、段差が非常に怖かったです。介助があったとしても、ふわっと体が浮く感覚に恐怖を感じました。「あと2段あるよ」「終わりだよ」の声掛けがなければ転倒してしまうかもしれないと感じました。街中で白杖を持つ方を見かけたら、今回の介助体験を活かし、積極的にお手伝い出来ることがないか探してみようと思います。

次に、計算についてです。この体験では、いかに普段の計算で視覚に
頼っているのかを思い知りました。暗算で導き出したためか、アイマスクを着用していない時と比較して、間違っている場所が多かったです。実際に視覚障害を持つ方が試験を受けたり、何かを学んだりする時はどのようにして計算を頭の中で組み立ているのかが気になり調べたところ、視覚障害者の方向けのそろばんがあったり、音声変換できるソフトがあったりするとのことです。しかし、どの程度見えないのか、どこまで理解出来ているのかによって教え方も変わってくると思うので、その人に合わせた学習方法があるべきだと感じました。
そして、樋廻さんのサークル活動に関する発表の中では、特に「障害について学ぶ意義」の部分が印象に残っています。「障害について学ぶことは、障害の有無に関わらず、合理的配慮によってできないことを互いに助け合うため」と樋廻さんは仰っていたのですが、私はこの考えが非常に重要であると感じるとともに、まだまだ世の中に浸透していない、とも思います。
また、「障害者」という括りでレッテルを貼ってしまうことがある、と
いうお話があったのですが、まさにその通りだと思いました。「この人は
この障害を持っているから〇〇だろう」と決めつけてしまう人がまだまだ
少なくないと感じます。
例え配慮のつもりでとった行動だとしても、一方的な意図がそこにあれば、人と人の間に力の勾配を作ってしまうはずです。それは障害の有無関係なく起こりうることにも関わらず、障害者というだけでその決めつけが生じやすくなってしまうこと、それが更に障害者の方々の生きづらさに繋がることなど、常日頃から私が考えていることが樋廻さんの発表の中に散りばめられており、思わず頷きながらお話を伺いました。
また、障害者問題研究会の活動内容を今回初めて知りました。私は個人で福祉関係のアルバイトをしていますが、このように障害に興味を持った同世代の方々と交流する機会はなかなかないため、大変羨ましく思いました。この素敵な活動をこれからも応援させていただきたいと感じました。
今回体験させていただいた全ての体験に対して言えることとして、「想
像以上に辛い」ことがあると思いました。一瞬体験するだけでも非常に大
変なのに、これらの困難と一生付き合っていく人々が実際にいらっしゃることや、老いてから自分がそうなる可能性もあるはずということを思うと、心や体への負担かどれほどのものなのか、どうしたら過ごしやすくなるのかということについて真剣に考えるきっかけとなりました。
また、改めて、そういった立場の方々に寄り添える人間でありたいと強く思うようになりました。周りの理解があるだけでも、介助や声掛けといった直接的な支援に繋げることができるのはもちろん、バリアフリーが進んでいないことや差別などの大きな問題への働きかけが進んでいくのではないのかなと感じました。
このように、新たな視点で障害やそれらを取り囲む社会について考え直す機会を作ってくださった服部奨学生の樋廻さん、服部さん、片山さん、そしてご講演いただいた森さんに、心から感謝しています。
服部奨学生としての今後
服部奨学財団が提供してくださる公式行事・イベントはいずれも刺激的であり、参加することで、イベントの取り組みそのものが与えてくれる学びはもちろん、イベントを通じた他の奨学生の方々、事務局の方々との交流をきっかけに、自分がこれまで抱えていた考え方や価値観がいい意味で変わることが多いです。それは、普段学ぶ分野が異なるものであっても、積極的な学びの姿勢が同じである服部奨学財団の皆様とだからこそ得られる貴重な機会だと思っています。積極的に交流し、参加していこうと改めて感じました。
また、これからは参加する側としてだけでなく、企画・進行する側としても多くイベントに携わっていきたいと感じました。私自身は本が好きで現在ビブリオバトル企画班に所属しています。本にまつわる企画の中でも、今までにない取り組みをこれからやっていけたらと思います。
特に気になっているのは過去にビブリオバトル班のミーティングで出た本の物々交換というもので、普段自分で選ぶ本ではないような思いがけない本との出会いを生み出す企画がかなり面白そうだなと感じているので、やってみたいです。そうした企画の実施を通して、今回のワークショップで私が「学びになった」「参加してよかった」と感じたように、他の奨学生の方々にも感じていただける機会を作れたらと思います。
今後、服部奨学金を応募しようとする学生に向けて
服部国際奨学財団では、毎月10万円という形で奨学金のご支援をいただくことが出来るため、自分自身の研究、やりたいこと、目指す場所への背中を押していただけます。しかし、それだけではなく、前述した今回のワークショップのように、多くの仲間・OBOGの皆様方との交流の場や学びの機会をいただくことができます。こうした服部国際奨学財団の活動を通して得られる経験・コミュニティによって、自分自身の研究に留まらず、知らない世界・価値観について自分自身の学びを深めること、人間として成長すること、そして視野を広げることもできると私は思っています。
社会のあらゆる面に即した課題解決について学び研究がしたい、そして多様な背景を持ち学び合える仲間とともに切磋琢磨していきたい。そういった方々にとって、服部国際奨学財団はとても大切な場所になると思います。