隣の芝青現象(読者ネタ提供シリーズ①)
しばらく前に、友人から「note見てるよ!」と言われてから、「(見てくれてる人いるんやん)」と思って、馬鹿の一つ覚えで、更新頻度を上げてみました。
それから、ちょくちょく見てるよ報告やコメントがあったりして、これだけ見てもらえているなら、読者からもらったテーマでも書いてみようと思って、テーマを募集しました。
※いや、ネタをいただけた、ですね。
今回のテーマは「隣の芝はなぜ青く見えるのか」です。
略して「隣の青芝現象」。
昔の話にはなるけど、
遊戯王やデュエルマスターズが流行っていた時、「あいつは強いカード沢山買ってもらえていいな~」と感じたことがありました。
話の規模がダンゴムシ級ですね。
ただ、就職してからかな?
ほとんど「隣の青芝現象」は起こらなくなりました。
なので、古い記憶を呼び覚ましつつ書いていきます。
まず話を進める上で、「隣の芝生は青い」を定義しましょう。
決まりを作らないと僕の場合、大脱線のアンストッパブルになるので!
で、調べてみると、「他人のものが、自分のものよりも良く見えること」でよさそうです。
ついでに、この場合の「もの」は物体だけではなくて、能力のような形無きものも含んでも問題ないとします。
まずは、「隣の青芝現象」をネタの提供者の話、知り合いの話をちょっと応用して拝借してその発生要因を考えてみたいと思います。
そのあとで、「隣の青芝現象」について、あーだのこーだの書いてみたいと思います。
そして、こんな例が集まりました。
①「仕事には満足しているけど、役職を持っている人が羨ましく感じる」
②「友達が高級外車に乗っていて、指をくわえてしまう」
③「彼女はいるんだけど、知人の彼女が素敵に思えてしまう」
④「九州の人は魚が沢山釣れる環境があって羨ましい」
この例を使って解釈してみましょう!
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まずは、①「仕事には満足しているけど、役職を持っている人が羨ましく感じる」について
これは、「任せてもらえる仕事の幅が変わるという観点から羨ましく思う。」というケースもあるかもしれない。
けど、基本、本質的には、「高位な社会的地位への欲求」、「承認欲求」からくるものだと思ってます。
簡単に言うと、「このポジションにいる自分イケてるよな」、「認められたい」という感覚を心のどこかで欲していることで発生する「隣の青芝現象」。
人間が社会生物である以上、あって然るべき欲だと思う。
僕ないけど。1ピコもない。
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次に②、「友達が高級外車に乗っていて、指をくわえてしまう」
これは、「高位な社会的地位の顕示欲求」、「承認欲求」からくる「隣の青芝現象」だと思う。
すこしだけ①と違うイメージで、若干危ない方向に行きかねない雰囲気。
あんまりいい気持ちがしない人もいるかもしれないけど、書くぞ!笑
変な遠慮は似合わないからね。
このパターンは、「顕示欲求」がキーポイント。
それが、本物であろうが、なかろうが関係ない。「示したい!」⇐これ。
ど真ん中ドストレート165km/hな例で行くと、
高級車ブランドのメルセデス・ベンツ、
新車で購入すれば最低でも車両本体価格だけでも500万くらいはする。AMG含めて高いものだと数千万にもなる。
これに持っているということは紛れもなく、「高位な社会的地位」を示す。
一方で、まちには何故かその高価なメルセデスがモリモリ発生している。
多分、密度としては、おばあちゃん家にいるゴキの密度を超えているとすら感じる。
これはなんでなのか。
「高位の社会的地位」を「顕示」したいという欲求で、中古のメルセデスを買う。
すると、世間からは「○○さんメルセデス乗ってるよ、すごいね、、」となる。
これが「高位な社会的地位の顕示欲求」、「承認欲求」。と思う。
シンプルに高級車の造形美に魅了されてほしい!はこれに当てはまらないけど。
そして、自分もあまりのかっこよさに、いつか「シボレー C8コルベット」が欲しいのですが笑
V8やらV10やら、やかましい車をぬめ~っとゆったり乗りたい。
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次、③「彼女はいるんだけど、知人の彼女が素敵に見えてしまう」
逆に「彼氏いるけど、他の男が素敵に思えてしまう」もそう。
これは、正直めちゃくちゃ難しい。
ただ、本質的に追及すれば「生存戦略」、「理想(嗜好性)の実現欲求」、「新鮮さの追求」などが複雑に絡み合って起こっているよるな気がする。
もちろん、美人・イケメンといることで、「自分イケてるっしょ」という「高位な社会的地位の顕示欲求」、「承認欲求」の充足を求めていること可能性も大いにあるしれないですが。
まず、「生存戦略」
多くの脊椎動物は、病気に抵抗したり、がん細胞の増殖を抑えたりできるように免疫系システムをもっていて、これは遺伝子によって制御されている。
つまり、この遺伝子のバリエーションが豊富な人ほど、免疫システムが強くて、生物としては優秀ということになる。
生物は、次世代に自らの遺伝子を残していくことが生きる究極の目的なので、どうにかして我が子の免疫システムを高めたい。
そこで、どうやらヒトは、自分のもっている免疫関連遺伝子の種類とは違った種類の免疫関連遺伝子を多く持っている相手に魅力を感じる機構が備わっているらしいです。
(詳しいことは専門性高くなるので省略)
あ~、話がむずかしいな!笑
分かりやすく言うと、病気1,2,3,4,5,6,7,8があって、そのそれぞれに勝てる免疫を獲得できる遺伝子をA,B,C,D,E,F,G,Hとすると、
母からA,B,C,Dの免疫関連遺伝子を、父からB,C,D,Eの免疫関連遺伝子を受け継いだ子孫より、
母からA,B,C,Dの免疫関連遺伝子を、父からE,F,G,Hの免疫関連遺伝子を受け継いだ子孫の方が、沢山の病気に対応できるということになりますよね。
こうゆう状況をつくり出すために、僕たちは、無意識のうちに他の異性に惹かれるようにできているよ~てことです!
ふたつ目は「理想(嗜好性)の実現欲求」
これは、言い方がどうしてもおかしくなるけど、人に場合は自分の好きな見た目、中身かどうか。
つまり、その人の人間「そのもの」を望むこと。
置き換えると、インテリアとか服が分かりやすいかもしれない。
自分が好きなものに包まれることで、気分が良くなる。
「モノクロのインテリアが、自分を落ち着かせてくれるから好きなんだよね、断捨離して、もっと部屋をモノクロで統一したい。」
とか
「このサブカル的な雰囲気の服が、テンション上げてくれるんだよね。もうちょい、ここの柄がイケてるやつあったら、それに買い替えるけどね。」
とか。「もの」として好きかどうか。
そして、「新鮮さの追求」
人は新しいものに対して魅力を感じやすい生き物らしい。どっかで聞いたことがある。
おNEWな経験や刺激がトリガーとなって、脳内でドーパミンの放出を促すことで、快感を感じやすくなる。
だから、長く付き合っているパートナーに対しては新鮮さが薄れて、他の人に魅力を感じることがある。「ことがある」、「ことがある」ですからね。我をしっかり保ちましょう笑
こう考えると、結婚して、一生を共にするって結構すごいことですよね。
「彼女はいるんだけど、知人の彼女が素敵に見えてしまう」の説明が長くなってしまいましたが、この中身はこうゆうことが起こってるんじゃないかなと。
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ラスト、④「九州の人は魚が沢山釣れる環境があって羨ましい」
あ~~~~~~これは、楽!笑
シンプルに、「理想(嗜好性)の実現欲求」単発です。
多分。
特別深い感情とか理屈とかあれこれを伴わない「いいな~」。
このパターンの青芝もあるよね。その人の環境に対して対して思うことが多いのかも。
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ここまで、4つの「隣の青芝現象」についてその発生要因を考えてみました。
まとめると、
「高位な社会的地位への欲求」:自分の地位の高さを、自分で噛みしめたい
「承認欲求」:自分のことを認めてほしい、称賛されたい、注目されたい
「高位な社会的地位の顕示欲求」:自分は地位が高いんだぞ、と周りに示したい
「生存戦略」:生物として、生命を繋ぐために働く無意識レベルの応答
「理想(嗜好性)の実現欲求」:これ(ものとして)好みだから欲しい
「新鮮さの追求」:新しくてドキドキする、その感覚を求める
これだけの要因が見つかりました。
もしかするともっとあるかもしれないし、さらに細かく分けれるかもしれません。
こう並べてみると、「隣の青芝現象」自体は別に悪いものでも何でもない、生き物のヒトとしては、当たり前のことだなって思いました。
ただ、この「隣の青芝現象」が原因で、なんかモヤモヤする、イライラする、情けなくなる、自暴自棄になるとか、そうゆう感情が芽生えるのだとすると、いい気分ではないですよね。
だから、「隣の青芝現象」に陥っている自分が嫌いになる人もいる。
どうすれば、この考え方から抜け出すことができるのか。
これは前回?の記事にも書いていることかもしれないけど、自分のことをがっつり知ることだと思います。
よく、就活の時に「さあ、みなさ~ん自己分析をしてみましょう!」とワークシートのようなものを渡されて、ちょいちょいっと何か書いたのを思い出しましたか?
あのレベルの話ではなくて、もっと深い層の話です。
自分の価値観・興味・関心・強み・スキル・経験などを、客観的視点ではっきり言語化できるレベルまで理解すること。
それも、シチュエーションごとに。
これがめちゃ大事だと、ここ数年で思いました。
いやいや、自分の事くらい自分が分かってるわ!って思うじゃないですか?
案外、自分の特徴って説明できないもんです。
例えば、めちゃんこ簡単に僕の強みを挙げるとすると、
①自分の弱点を明確に理解していること
②まとまりのないことを整理して伝えられること
③人生、失敗・挫折・自分の抑圧の連続だったので、その分、共感的理解ができること
などがあります。
自分の強みが活かせるフィールド以外のことは、他の得意な誰に任せればよいと思ってます。
他にも、ブレない価値観として、「自分が(ナルシストであれる)酔えることをする」ことがあります。
酔えること=勝手に身体が動くこと=自分イケてんじゃんと思うこと=最大のパフォーマンスを発揮できること
のイメージです。
何かするときに、「これって酔えることか?」と、考えるだけで、だいぶ判断が楽になることが多いです。
今挙げた内容は、自分が考えてきた自己理解の氷山の一角で、正直ぜんぜん言葉足らずです。
これを紡ぎだした物語、作業、経緯についても何も書いてないので。
「○○について、とことん教えてください」と聞かれたら、「3泊4日になりますけど大丈夫そうですか?」って返します笑
話を「隣の青芝現象」に戻すと、なんかモヤモヤする、イライラする、情けなくなる、自暴自棄になるとか、そうゆう感情が「隣の青芝現象」で芽生えるのだとすると、それは文字のとおり、「隣を見て自分と比較している」ことが原因です。
隣を見るなと言われても、SNSやら飲み会やらで、勝手に見させられます。
「うちの旦那、困らない程度には収入あるから~、う~ん♡、不満はないかな~♡」
「今日はドライブ~♡(withレクサスの画像)」
とかね。
そこで、自分と人を比較しないようにするためには、
「これまでと、現在の自分とガチンコでぶつかって、今後のイメージを持つ」
これが大切かなと考えてます。
そうすることで、何事においても比較する対象は、他人ではなくて、自分になります。
例えば、
「まだ自分は○○を持ってない」→「あの人は持っているのに」→「くっそ~~」
「まだ自分は○○を持ってない」→「どうしたらものにできるか」→「△をやってみよう」
と考え方が転換します。
自分も、体調を大きく崩してから、真剣に自分のことを考え始めて、悩みながら試行錯誤して、ようやくほぼ自分軸で生きれるようになりました。(協調性とは別の話)
他人と自分を比較するのは、今後の自分のイメージを具現化するためであったり、行動を見直したり、要は自分をアップデートするという目的のためだけ。
余計な負の感情が生まれないので、本当に自己理解を深めるのはオススメです。
「でも、やり方がわからん!」という方は、気軽に声かけてください。
協力します。
今日は、「隣の芝は青い」について書いてみました。
他人と、自分を比較していた頃を思い出せていい機会になった気がします。
話題提供者ありがとう。
今日はこの辺で。
では。