「名言との対話」3月27日。朝倉摂「芸術家の行為はレジスタンスです」
朝倉 摂(あさくら せつ、1922年7月16日 - 2014年3月27日)は、日本の舞台美術家・画家。父は彫刻家の朝倉文夫。妹は彫刻家の朝倉響子。享年91。
彫刻家の父・朝倉文夫の「他人の子を育てている自分が、自分の子供を育てられないことはあるまい」という考えから、学校へは一切通わず家庭教師より教育を受けた。朝倉文夫の作品に、二人の少女の有名な裸像があるが、それは娘二人をモデルにしたものである。まだまだ当時はモデルのなり手がなかったために朝倉文夫は娘を使ったのだ。
長女の摂は日本画の道に進み、1953年には上村松園賞を受賞するなど才能を開花するが、1960年代からは舞台美術に関心を持つようになる。歌舞伎、前衛演劇、オペラ、舞踊、映画など幅広い分野で活躍。大胆で新鮮な舞台で話題を提供した。
JAL時代、1980年代に広報の仕事をしていたとき、舞台装置を海外に運ぶ案件で接触したことがある。その当時には舞台美術の朝倉摂の名はよく知られていた。また小田急線の唐木田駅前で見かけた少女像は凜とした雰囲気がありなかなかいい。誰の作品かとみたら、作者は妹の彫刻家・朝倉響子だった。
朝倉摂によれば、 絵画や彫刻は時間と空間を平面や立体に閉じ込めて永遠の時間を描く芸術であり、演劇・映画・音楽は時間そのものを描こうとする。その空間を受け持つのが舞台美術だ。舞台美術家の仕事は、戯曲の持つ意味をビジュアルに観客に伝えるかを考えることである。だから舞台美術は「時間」に対して明確なコンセプトを持つ必要がある。
舞台美術のアイデアは、古典絵画、シュールレアリズムの絵、廃屋、などあらゆるものがヒントとなる。材質への徹底したこだわり。階段はタテに動くことができるので無限の広がりを示すことができる。こういうところに、朝倉の仕事への姿勢がみえる。
主な作品としては、蜷川幸雄演出秋元松代作「近松心中物語」、市川猿之助演出梅原猛作「ヤマトタケル」、蜷川幸雄演出唐十郎作「下町万年町物語」などがある。
絵画では、1950年:サロン・ド・プランタン賞。1953年:上村松園賞。1972年:講談社出版文化賞絵本賞。舞台美術では、1980年:テアトロ演劇賞。1982年:日本アカデミー賞優秀美術賞(『悪霊島』)。1986年:芸術祭賞(『にごり江』)。1987年:紫綬褒章。1989年:朝日賞。日本アカデミー賞優秀美術賞(『つる -鶴-』)。東京都民文化事業賞。1991年:紀伊國屋演劇賞(『薔薇の花束の秘密』ほか)。1995年:読売演劇大賞優秀スタッフ大賞(『オレアナ』ほか)。2006年には文化功労者となった。
2022年に開催された練馬区立美術館の「生誕100年 朝倉摂展」を訪問した。神奈川県立近代美術館葉山での企画展を見逃したので。朝倉摂は、日本画家から始まり、デザイン、挿絵、絵本、そして舞台美術にたどり着いた表現者だ。時代を駆け抜けた感のある人である。この企画展をみて改めてその膨大な足跡を堪能した。『朝倉摂の見つめた世界』(青玄舎)を購入。
若い頃から一貫して、「芸術家の行為はレジスタンスです」、「すべてに闘わないとだめ」といった姿勢を貫いた朝倉摂は、常に若々しいエネルギーに満ちた前衛の人であった。草分けとなった舞台美術という分野を創り上げた朝倉摂は、生涯現役で、生き物である劇場を喜ばせる仕事を天職としたのである。
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