「名言との対話」 」5月14日。江青「私がお話した最初の方があなたなの」
江青(こう せい、ジャン・チン、ピンイン:Jiāng Qīng。1914年3月 - 1991年5月14日)は、中華人民共和国の政治指導者、女優。毛沢東共産党主席の4番目の夫人。
1933年中国共産党に入党。藍蘋(らんびん)の芸名で上海の新劇・映画界で活躍した。1938年延安に行き、翌年毛沢東と結婚する。江青と改名し1960年代以降文化大革命で活躍した。1976年に毛沢東が亡くなると王洪文、張春橋、姚文元とともに反革命の「四人組」として逮捕され失脚した。1981年死刑判決を受けたが減刑された。のちに自殺した。
1977年に発刊されたロクサーヌ・ウィトケ『江青』(中嶋峯雄訳。パシフィカ)上巻を読んだ。権力闘争に敗れて失脚する前に、語った波乱の生涯とそれを彩った人間関係を明らかにした本である。著者は中国を研究するアメリカ女性の学者である。
「叛徒」「妖罵」「江后」「紅色女郎」など、あらゆる罵詈雑言を浴びた女性が江青だ。その真の姿を江青は著者に詳しく語っている。中国では失脚した幹部は歴史の闇の中に消えるのが普通だが、幾人かは自伝を残している。1989年の天安門事件で失脚し、2005年に死去するまで16年間の軟禁生活を余儀なくされた趙紫陽も、軟禁中に極秘回想録を残している。そのおかげで天安門事件をめぐる内部抗争が明らかになっている。
この書は公式なインタビューをした学者が残した貴重なものだ。これによって、文化大革命とは何だったか、中国共産党の内部の姿、毛沢東の肉声などが、相対的にみえてくる。それは江青にとっての唯一の救いだろう。1966年から1976年まで続いた毛沢東主導の文化大大革命で、紅衛兵によるつるし上げで、多くの人が悲惨な目にあった。この10年で中国は文化を失ってしまったといわれるほどの大混乱があった。それを主導したという罪を政敵から弾劾されたのである。その江青からはどういう世界が見えていたか。
中国の指導者たちの自伝や伝記を手にすると、例えば先に挙げた趙紫陽や、台湾の蒋経国なども、複雑怪奇な世界での権力闘争に明け暮れながら、指導者になっていく様子がわかる。運、不運は明らかにあるが、明らかに中国の指導者たちは、上昇していく過程で鍛えられているとの感を深くする。
毛沢東「君が知識を得ようとするなら、君は現実を変革する実践に参加することである。君が梨の味を知りたければ、君は梨を変革すること、すなわち自分で食べてみることだ」(毛沢東『実践論』)
冒頭の言葉は、1971年のニクソン訪中で始まった米中関係の劇的な展開の翌年の1972年8月に、江青がこの本の著者に語った言葉である。今回、私が読んだのは『江青』の上巻で、中国共産党での大幹部になる以前の物語だ。激動の中国で精いっぱい背伸びしながら生きてきた女性の告白である。彼女の人生の本番である下巻を読まなければならない。