
「名言との対話」12月17日。野見山暁治「自分が絵描きなのではなくて、自分のなかに絵の神様が入りこんで、描かせているんだな」
野見山 曉治(のみやま ぎょうじ、1920年12月17日 - )は、日本の洋画家。
福岡県飯塚市出身。小さな炭鉱屋の長男。子どもの頃から「絵描き」になりたいと考えており、東京芸大に進学。兵役が決まると和辻哲郎『古寺巡礼』の影響もあり、奈良にを旅行する。
私はこの人との絵をみており、また本も読んでいるから、縁がある。
2014年に、ホテル・ニューオータニ美術館で「野見山暁治展」を観てきた。毎日練馬のアトリエで絵を描いている。また、福岡県の糸島にあるアトリエでも過ごしている。23歳で渡仏。12年間をパリで過ごし帰国。47歳、東京芸大助教授。51歳、教授。57歳、「四百字のデッサン」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。79歳、文化功労者。84歳、菊池寛賞。目に触れる作品は公共施設のステンドグラスだ。抽象画のような具象画のような作品だ。2008年に東京メトロ副都心線明治神宮前駅に飾られた「いつかは会える」、2011年にJR博多駅に飾られた「海の向こうから」、2013年に福岡空港国際線ターミナルに飾られた「そらの港」の3点のステンドグラスの原画を中心とした展覧会だった。この画家は93歳で、現役として活動中だったことに驚いた。
翌日のNHK日曜美術館は、その野見山暁治の特集だった。この画家は文章がうまい。「絵も描くのか」と言われたり、「どうして文章のような絵を描かないのか」と言われたりしているのが、おかしい。
「描いていると少しづつ描きたかったものがみえてくる」。「毎日、毎日、これじゃないよな。わからない、何かがある」。「美しい自然の中にある魔性のものをつかまないと」。「常にえい児の如くあれ」。「色はてんでに少し主張しすぎるようだ。形はどんなに虚勢を張っても慎ましやかだ。おのれの限度を知っている」。「男はぼくの絵に戸惑う。、、、女のひとはよく出来たもので、モチーフについてつまらぬ詮索はしない。
ぼくたちにミューズの神はいるのだろうか。、、、いったいエカキとは何なのか。画面に向かっていることが、取りも直さずその疑問を問いつめていることであり、生涯問いつめてゆくその所業を、そうした人間の在りようをエカキと称んでいいのではないかとぼくは思っている」。「絵描きが「考える」ということは、画面に向かって手を動かすことだ、という気がする」。「ぼくにとって、絵とは心情を吐きだすもの、生身の自分を晒すことだった」。
94歳の野見山を80歳になった横尾忠則との対談が載っている『『創造&老年』(SB Creative)』を2021年8月に読んだ。野見山の発言は、「年をとたっという自覚がない」「人間だけが自分の年齢を知っている」「絵の学校に行くのが一番いけない」「頭は空っぽ」「毎日同じ画面に向き合う」「絵を描くことで、元気はエネルギーが自分の中に湧き出る」などだった。
今回は2018年発刊の『のこす言葉 野見山暁治 人はどこまでいけるか』(平凡社)を読んだ。97歳時のエッセイだ。年譜を眺めると、35歳、パリで最初の妻は29歳でガンで亡くしている。50歳で再婚した妻は野見山が80歳の時に75歳の妻をガンで亡くしている。31歳からパリ留学12年。セザンヌ、グレコに傾倒する。ビュッフェにも傾倒し絵が似てくるので待たないようにした。「自分というものを確立させてから、誰のものでもない、おれの絵だというものを持っていかなければ」と決心する。
「自分が描く絵が、限られた画面のなかに、広い宇宙観を確立していかなきゃ意味がない」絵描きのオリンピックは、宇宙の奥深いところまで入っていけるか、その競争みたいなものだという。果てしない。どこまでいけるか。それに懸けている。野見山がパリからの帰国後、驚いたのは日本は人工物を含め色にあふれていたことと述懐している。欧州は色感が悪い。逆に日本人の感性は素晴らしいという。
76歳、長野県上田市に「無言館」を開館。戦没学生の遺族を訪ねて彼らの遺作を展示する。この仕事をやりとげて自身も変わったと自覚している。93歳、文化勲章。
野見山暁治は「いくら平和を唱えても、戦争は必ず起こるものだ」という確信があり、「やがて人間は自らつくった原爆で滅びる」と語っている。戦後は束の間の幸福だったという観察だ。
この本の最後は、「自分が絵描きなのではなくて、自分のなかに絵の神様が入りこんで、描かせているんだな」という言葉で終わっている。1920年生まれであり、本日で101歳の誕生日を迎えた。現在も現役画家である。