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「名言との対話」2月6日。ベーブ・ルース「野球というゲームは、子共のゲームなんだ」

ジョージ・ハーマン・ルース・ジュニア(George Herman "Babe" Ruth, Jr. , 1895年2月6日 - 1948年8月16日)は、アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモア出身のプロ野球選手。

ベーブ・ルースは、1914年から1935年までのヤンキースを中心に22シーズンで打率3割4分2厘、ホームラン714本。ワールド・シリーズでは10回の出場で打率3割2分6厘、ホームラン15本。投手としては10シーズンで94勝46敗、防御率2.28。ワールド・シリーズでは2回出場し、連続イニング無失点29回3分の2を記録し、3勝をあげている。

最高打率は3割7分8厘。最多ホームランは60本。最多打点は168。投手としての最多勝は24勝(13敗)であった。

つまり、圧倒的な二刀流であった。ベーブは自身を幸運だという。投手主体の時代に投手であり、打者主体の時代へと移行した時には打者の道を歩んだのだ。それはベーブ・ルースの時代だったということである。ベーブルースは名門レッドソックスから新参のヤンキースに移籍した。その時期にヤンキースは7回優勝し、ワールド・シリーズで4回の優勝を飾っている。ベーブがその原動力であった。

100年前に大活躍をした。アメリカは第一次世界大戦へ参戦し、「スペイン風邪」のパンデミックにさらされた時期に選手生活を始めている。佐山和夫『それはパンデミックから始まったーベーブの二刀流、ホームラン熱、アメリカンドリーム』(ベースボール・マガジン社)は、大谷翔平が素晴らしいシーズンを送った2021年の11月に発刊された。まことにいいテーマと時宜を得た出版である。

第一次世界大戦への兵役で選手も参戦した。そしてパンデミックがアメリカを襲った。兵士たちも次々に罹患し死んでいった。戦地から帰還した兵により再燃する。ワクチンもなく、戦地で死ぬ兵隊の10倍近くのアメリカ人がパンデミックで死んだ。野球の選手層が薄くなっている。監督は反対だったが、その時代が打者と投手の二刀流を実現する後押しになったのである。ベーブ自身も二度スペイン風邪に罹患している。

ベーブ・ルースの記録は圧倒的であったが、それ以上に戦争で疲弊した国民の人気の高さは誰もかなわなかった。大食漢、大酒飲み、女性スキャンダル、金にもだらしないベーブは、それゆえに愛されていた。ラジオが普及した時期でもあり、アメリカ国民は熱狂した。この時代には他の多くのスポーツをひっくるめた大スターは、ベーブ・ルース以外にはなかった。この辺りは、「新型コロナ」のパンデミックに揺れた2021年のアメリカ、いや世界の人々に勇気と感動を与えた大谷翔平の姿とだぶってみえる。

ヤンキースは、ベーブの後、ルー・ゲーリッグ、ジョー・ディマジオ、ミッキー・マントルとホームラン打者をそろえ、野球の盟主となっていった。

1934年には日本を訪れて親善試合を行っている。駐日大使のジョセフ・グルーは「ベースは、私などよりはるかに有能な親善大使だった」と記している。

著者の佐山和夫について述べておこう。ニグロ・リーグの英雄サチェル・ペイジを扱った『史上最高の投手は誰か』という本の著者としての講演を「知的生産の技術」研究会で聞いたことがあり、その遺業に驚いた。59歳でメジャーリーグで登板を果たしたとは気が遠くなるような気がする。野球史上最高の投手の一人と称される人物であり、ニグロリーグ時代に約2500試合に登板し、計2000勝以上をあげ、完封勝利350試合以上、ノーヒットノーラン55試合など超人的な記録を残している。その佐山さんは、ベーブ・ルース学会、アメリカ野球学会で賞を受賞し、日本では2021年に野球殿堂入りもしている。80代半ばにこの本を書いたのだ。

ベースボールを愛するベーブルースは、女性、黒人の野球にも貢献している。女性投手から三振も喫していし、サチェル・ペイジとも対戦している。

アメリカにフロンティアがなくなった時代に、野球が登場した。新しいフロンティアであった。スペイン風邪がベーブの二刀流をつくった。そして史上最高の打者・ベーブ・ルースをつくったのである。

野球はもともと子供のゲームだった。それが国技になっていった。それを実現させたのはベーブ自身だった。大谷翔平は現代のベーブ・ルースになれるだろうか。

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