「名言との対話」7月7日。サチェル・ペイジ「ふり返るな──何かにとりつかれる」
サチェル・ペイジ(Satchel Paige、本名:リロイ・ロバート・ペイジ(Leroy Robert "Satchel" Paige)、1906年7月7日?- 1982年6月8日)は、アメリカ合衆国・アラバマ州モービル出身のプロ野球選手(投手)
アメリカニグロ・リーグの英雄サチェル・ペイジを扱った佐山和夫『史上最高の投手は誰か』(1984年刊行)を読んだことがある。著者の講演を「知的生産の技術」研究会で聞いたことがあり、その偉業に驚いた。59歳になってもメジャーリーグで登板を果たしたとは気が遠くなる気がする。野球史上最高の投手の一人と称される人物であり、ニグロリーグ時代に約2500試合に登板し、計2000勝以上をあげ、完封勝利350試合以上、ノーヒットノーラン55試合など超人的な記録を残している。佐山さんは、ベーブ・ルース学会、アメリカ野球学会で賞を受賞し、日本では2021年に野球殿堂入りもしている。
『史上最高の投手は誰か(完全版)』(潮出版)を今回読んだ。2017年7月20日発行である。30年以上前の本に加筆修正し、再構成したものだ。
この本では、ペイジの投球はスピードとコントロールが抜群だっとしている。時速100マイル(161キロ)以上だった。当時の大リーグの投手は138キロであり、火の玉投手として有名なノーラン・ライアンの150キロほどであったが、「自分の速球がまるでチェンジアップに見えるほど」と述懐しているから、そのスピードの威力が想像できる。
大リーグは長い間、白人アメリカ人のリーグであった。アメリカの国技と言われるベースボールだが、黒人アメリカ人、アメリカ先住民、そして日本人のチームもあったのである。彼らの選手権は「裏ワールド・シリーズ」と呼ばれていた。日本人の「ニッポニーズ」は、小柄ながら、よく動いて、闘志あふれるプレイを見せると前評判が高く、新聞記事では「日本の野球は一級品」と書かれていた。1935年の「侍ジャパン」である。
サチェル・ペイジの言葉を拾ってみよう。
「一球投げてポップ・フライか何かで凡退させられるのがわかっている時、どうして三振を取る必要があるか」。ペイジは100球を超えて試合を終えるのを恥としていた。
「ミットをじっと出しておいてくれればいい。そこへ球を入れる」。ペイジはコントロールが抜群であった。
「大リーグ球団が私を必要とするまで、私は投げ続けようと心に決めた」。ペイジには42歳でようやく声がかかった。
「ふり返るな──何かにとりつかれる」。ペイジの処世訓のひとつである。ペイジは42歳で新人として大リーグに入り、59歳まで投げ続けたのだ。
大谷翔平がべースボールに衝撃を与えている。今日も7回100球で自責点ゼロの快投で、打者としては二死満塁で逆転の2点を奪う活躍をしている。こういうときに、黒人アメリカ人・サチェル・ペイジのことを知ることもいい。