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「名言との対話」1月24日。門田博光「自分は常に場外を狙っていたために、加齢で衰えても柵越えの本塁打を量産することが出来た」

門田 博光(かどた ひろみつ、1948年昭和23年〉2月26日 - 2023年令和5年〉1月24日)はの、プロ野球選手外野手指名打者)、解説者評論家

山口県出身。奈良県で育つ。天理高からクラレ岡山を経て、ドラフト2位で1970年に南海ホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)に入団した。1971年、レギュラーに抜擢 されると120打点で打点王に輝いたが、その後はホームランを意識しすぎたため、シーズンによって好不調の波が大きかった。

1979年には春のキャンプでアキレス腱 を断裂、そのシーズンのほとんどを棒に振ってリハビリに励み、これを境に指名打者(DH)として復活、リーグ屈指の強打者へと生まれ変わった。

翌1980年に41本塁打を放つと、1981年は44本で本塁打王を獲得、1983年も40本で2回目の本塁打王となった。1988年には44本塁打、125打点で二冠王に輝き、最優秀選手(MVP)に選ばれた。当時すでに40歳となっており、翌1989年(平成1)から福岡ダイエーホークスとなることが決まっていた南海最後の年に花を添えると同時に、中高年に希望を与える存在として脚光を浴びた。

1989年からオリックス・ブレーブス(現、オリックス・バファローズ)、福岡ダイエーホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)と移って44歳の1992年までプレーし、最後までフルスイングの打撃を貫いた。23年間の通算成績は、出場試合2571、安打2566、打率2割8分9厘、本塁打567、打点1678。獲得したおもなタイトルは、本塁打王3回、打点王2回、最優秀選手(MVP)1回、ベストナイン7回。2006年(平成18)に野球殿堂野球殿堂博物館)入り。(以上、日本大百科全書

「ホームランの当たり損ねがヒット」という、独特の考えの門田の言葉を追ってみよう。

  • ホームラン狙いをやめれば4割打てる。

  • そこまでやらんな、こんな小さな体で500本打てんじゃろ。

  • アウトコースを軽くミートして逆方向に打つホームランではロマンがない。

  • ホームランを打てば足に負担はかからない。これからは全打席ホームランを狙う。(アキレス腱の断絶後)

  • 速い球を重たいバットで打てるなら、遅い球は対応できる

選手時代の晩年にも目覚ましい活躍をしたことから「不惑の大砲」の異名を持ち、「中年の星」とも呼ばれていた門田は、力強い打撃力から「ポパイ」とも呼ばれていた「常に場外を狙っていたために、加齢で衰えても柵越えの本塁打を量産することが出来た」という言葉は、ホームランは王貞治野村克也に次ぐ57本だった、門田博光らしい豪快な言葉である。



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