「名言との対話」7月20日。西尾幹二「知的冒険ほどスリルにみちたものはない」
西尾 幹二(にしお かんじ、1935年(昭和10年)7月20日 - )は、日本のドイツ文学者、評論家。
東京生まれ。東京大学文学部独文科卒業。同大学大学院文学修士。文学博士。電気通信大学教授。ニーチェ、ショーペンハウアーの研究と翻訳から出発し、文学、教育、政治、国際問題など幅広いテーマをめぐる旺盛な評論活動を展開している。明治以後の西洋中心史観を排した新たな日本史像の確立をめざす論客である。
『ヨーロッパの個人主義』(講談社現代新書)、『異なる悲劇 日本とドイツ』『決定版 国民の歴史 上下』『江戸のダイナミズム』(以上、文藝春秋)、『GHQ 焚書図書開封1〜9』(徳間書店)など著書多数。 国書刊行会より『西尾幹二全集』(全22巻)が刊行中だ。
右派の論客として有名。今回、いくつかの動画で論戦や講演をみた。以下、その主張。
・朝鮮半島における慰安婦問題。強制性の証拠はない。20万人が対象だが、警官の8割は韓国人であったが、彼らの反抗はなかった。韓国はベトナム戦争で慰安婦を抱え、7000-2万人の私生児をつくっている。
・ナチスのドイツの行った犯罪は凄まじい。国家売春はナチスの犯罪があまりにも大きかったので忘れられた。ドイツはポーランドで100万人を虐殺。教育も与えなかった。
・アメリカは戦後日本人女性の20万人を慰安婦としている。東京大空襲と原爆投下を正当化するために日本を残虐非道としたキャンペーンをはり、その事実を隠している。
以上を踏まえて、西尾は、戦争時の女性の人権問題は、日本を含め世界共通の問題であるとする。そして国際関係は、相互主義と公平公正の精神でのぞまなければならないと主張していて説得力がある。
この議論に深入りするのはやめて、西尾幹二『人生について』(新潮文庫)を読むことにしよう。怒り・虚栄・孤独・退屈・羞恥・嘘・死・宿命・教養・苦悩・権力欲という現代人の諸問題について語った名著だ。西尾自身が50歳前後に力を入れて書いたものだ。登場人物が自分のことをいわれているのではないかと感じるだろうから、発表は躊躇していたが、65歳になたっときに心が定まったと「著者覚書」で記している。西尾自身が「最高の作品」と自認しているエッセイ集だ。以下、心に響いた言葉を記す。
・率直であること、自然であることが、人間には何といっても一番難しい。
・男の敗北感や嫉妬心は、ときに女のそれよりも凄まじいのだ。
・人間はどこか自分を一ヶ所捨てているところがなくてはいけない。自分を何かのための捨て石にしているところがなくてはいけない。
・才能は悪い条件を常に利用して伸びるものだ。(平山郁夫)
・真の教養は見識という言葉にむしろ近い。
・絶えず自分に疑問を抱き、稔りある問いを発し続けることが真の教養ということである。
・自分で自分の自由を律することができない存在ーーそれが民衆なのだ。
そして「知的冒険ほどスリルにみちたものはない」の後には、以下の言葉が続く。知的スリルを覚えた者は、地味で単調な日常生活を送っていても、心の内部はドラマに満ちていて、外的な刺激に満ちた、変化の多い探検家などよりも、多くの危険な賭けや冒険にさらされているのである。
偉人、賢人、異人、豪傑、女傑などの波乱の生涯と彼らが絞り出した人生の真実をあらわす言葉を、日々追いかけている私の「名言との対話」は、知的冒険に満ちており、知的スリルの連続である。毎朝、新しい人物との遭遇によって少しだけ向上しているという実感がある。時間を実際以上に長く感じる退屈感はなく、知的スリルに満ちた長く短い時間によって、心の平安が保たれている感覚が確かにあることを吐露しておこう。
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