「名言との対話」7月26日。中村紘子「ピアニストはバレリーナや体操選手と同じで筋肉労働者でもあるんです」
中村 紘子(なかむら ひろこ、1944年7月25日 - 2016年7月26日)は、日本のピアニスト。享年72。
山梨県甲州市生まれ、東京世田谷区育ち。3歳からピアノを習う。桐朋学園「子供のための音楽教室」の第1期生。同期に小澤征爾。全日本学生音楽コンクールピアノ部門小学生の部の第一位を皮切りに、各種コンクールで第一位を総なめにする。桐朋女子高を中退し渡米しジュリアード音楽院に進む。1974年、『赤頭巾ちゃん気をつけて』で芥川賞をとった庄司薫と結婚。
世界各国で演奏活動を続け、一方で様々な国際コンクールの審査員をつとめた。1989年に、『チャイコフスキー・コンクール』で大宅壮一ノンフィクデョン賞を受賞するなど、エッセイストとしてもすぐれた作品を書いている。豊かな感受性と鋭い観察眼の持ち主でもあったという証明である。
安宅コレクションで有名な安宅英一の奨学金をもらうのだが、当時15歳の中村ひろこは「骨董趣味って、いやらしい」という名言を吐いていた。
「絢爛たる技巧」と「溢れる情感」、「ロマンティックな音楽への親和力」が、中村ひろ子の演奏の特色だった。
小柄で手も小さめでピアニスト向きの体格ではなかったが、筋力トレーニングなどを続けていた。以下、筋肉労働者としての芸術家の言。
「ピアニストはバレリーナや体操選手と同じで筋肉労働者でもあるんです」
「ピアノはハングリーじゃないとダメなんです。ボクシングと同じです」
「ピアニストの肉体的な故障というのは野球のピッチャーと同じところを痛めるんです。腕のつなぎ目ですね。そういうのをしょっちゅう手入れをして、手入れするだけでは物足りなくなって、筋力トレーニングを始めてもう5年ぐらいになります」
「一日休むと一日衰えてしまう。筋肉だけではありません。耳も感受性も一緒に退化するんです」
「やはり日々の努力が必要。自分の血肉になるまで弾き抜くことが大切なんですよね」
中村ひろ子の演奏を聴いたとき、太い腕で弾く迫力に驚いたことがある。ピアニストをピッチャー、バレリーナ、体操選手、ボクサーに例えていたとは意外だった。今思えば、本人が言うように確かにピアニストは肉体労働者でもある。精神と肉体、感受性と超技巧、、。体操の平均台の上の狭い道を、微妙なバランスを保ちながら歩いているような人生だったのだ。
中村紘子著『ピアニストという蛮族がいる』を読んだ。クラシック音楽の中で生息するピアニストを蛮族と呼んでいる。この蛮族は3、4歳のころから一日77、8時間ピアノを弾いている種族だ。
西洋音楽という未開の地を開拓した日本最初のピアニスト・幸田延(兄の一人が露伴)、その教え子で日本一のピアニストとしてヨーロッパに乗り込んで、失意の中で38歳で自死した久野久の物語は心を打つ。
「楽器のなかの王者」ピアノは、表現力が豊かで、応用範囲は極端に広い。名作、大作、難曲を書いてもらった楽器はピアノだけである。「人生は短くピアノの名曲はあまりにも多い」。だからピアノニストは大変だ。人と付き合うことが苦手になる。女性ピアニストは勝気、強情、しぶとい、神経質、自己中心的、気位が高い、攻撃的、そして肉体的には筋肉質でたくましくなる。「ゆめゆめピアニストなんぞを女房にするものではない」とのたまわっている。夫となった庄司こそいい迷惑だったのではないか。そういえば、庄司薫は、芥川賞以来、話題になっていない気がする。
ピアノを演奏する手について、中村は細かく説明している。指先はデリケートな音色を作る。固い音、柔らかい叙情的な音。手の甲は音の厚みと関係する。手首は呼吸と同じ役目を果たす。ひじは、伸びやかさ、響きの美しさと関係がある。二の腕の筋肉は演奏にパワーを加えるために一番重要だ。
この本は、1990年1月から1年半にわたり『文藝春秋』連載したものをまとめたものだ。参考資料の一覧を眺めると、内外の音楽家、ピアニストらの自伝や伝記、日本人では幸田露伴集、山川捨松の伝記、大正人物辞典などが並んでいる。単なるエッセイではなく、ピアノに関わる人物誌となっている。そしてその筆致は中村のピアノの演奏のように、自由自在である。天は二物を与えた。名文家である。
中村紘子は、筋肉労働者としてのピアニストと、知的労働者としての文章家、この二刀流の生涯であった。
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