「名言との対話」8月17日。島木健作「何をやったかて大差はない。その身に備わった器量だけのものはあらわれるもんじゃ」
島木 健作(しまき けんさく、1903年9月7日 - 1945年8月17日)は、日本の小説家。
北海道札幌市出身。高等小学校中退。旧制中学卒業。東北帝大選科を中退し農民運動に参加。3・15事件で検挙され、翌年に転向声明。1932年、仮釈放。
1934年、転向問題をテーマとした『癩』を発表。次に『盲目』を発表。そして短編集『獄』を出版。
1936年に発表した『再建』は発売禁止。1937年の『生活の探求』は青年層を中心にベストセラーとなった。1942年以降は肺結核の床にありながら、長編『礎』を発表。1945年、死去。
島木健作の名は、『生活の探求』という気になる題名とともに記憶している。主人公の駿介は、東京の実業家の書生をしており、志望する農学ではなく、商科への進学を強制される。「食うための仕事」と「本来の仕事」との葛藤に悩まされる。自分に取っては興味の持てない商業という仕事に従事してよいものか。生きるためのいとなみが、そのまま全人間を生かすための道と一つになっているような農業という仕事との対立である。
郷里の先輩は「農民主義、土に還れ主義」として励ましてくれる。郷里の有力者は「今迄の道を、俗世間一般の道を行け」と諭す。父親は「何をやったかて大差はない。その身に備わった器量だけのもなあらわれるもんじゃ」とのアドバイスをする。つまり、東京で役人や実業の世界で仕事をしようと、故郷で百姓になっても、「えらい違いはありゃせん」というのだ。主人公はその意見にしたがって、農村の生活にはいっていくという物語である。
当時の青年の心をつかんだ小説である。私としては、「生活のための仕事」と「人生のための仕事」という二つの仕事をどう折り合いをつけるかという問題としてとらえたい。いつの世も、この二つの葛藤の中で、青年は悩む。生活のため、パンのため、興味がない仕事に就いてよいものか、いつまでもその延長線上で生活をしてよいのか。こういう葛藤の中で多くの人は苦しむのだ。私もその一人だったので、よく理解できる。
主人公の父親がいう「何をやったかて大差はない。その身に備わった器量だけのものはあらわれるもんじゃ」という言葉には、今となっては大いに共感する自分がいる。どの企業に入ろうと、そしてどの分野の仕事をしようと、そういった転機の選択はそれほど、重要ではない。そこで問題となっているテーマに取り組む中で、自分というものがあらわれてくるのである。そういった人生の真実を父親は語っているのだ。
「生活のための仕事」と「人生のための仕事」という分類の間で悩むことにはあまり意味はないように思う。その人の器量はどこでも現れる。対象を選ぶことより、人生を重くみないで、ぶつかっていくことが大事なのだ。この本を読んで、多くの青年が励まされただろう。