「名言との対話」7月6日。安西愛子「唱歌は子どもたちに人生への夢と希望を与える」
安西 愛子(あんざい あいこ、本名:志村 愛子(しむら あいこ)、1917年4月13日 - 2017年7月6日)は、日本の童謡歌手、声楽家、政治家。享年100。
東京出身。東京音楽学校声楽科、1942年大学院研究科卒業。コロムビアレコード専属の歌手となり、童謡「お山の杉の子」がヒット。1949年から1964年までNHKラジオ[歌のおばさん」に出演。「めだかのがっこう」「朝はどこから」「ぞうさん」などの童謡を広めた。
1971年、自民党参議院選に当選し、3期連続当選した。北海道開発庁政務次官、自由民主党政策審議会副会長。安西愛子は100歳まで生きたセンテナリアンでもあった。
童謡教室で4つ年上の金田一春彦が安西愛子の初恋の相手で、春彦はラブレターを書いたが、愛子の父親から返事が来て、失恋。そのショックで春彦は留年したというエピソードもある。
『日本の唱歌』(上中下。講談社文庫)は言語学者の金田一春彦と安西愛子の共編で、今回は上巻の明治編を手にした。その冒頭には、二人の唱歌論が仲良く掲載されている。
金田一春彦は、唱歌は広い意味で教育的な目的でつくられたものとしている。伊澤修二の『小学唱歌』は特にその傾向が強い。旧制高校の寮歌やキリスト教の讃美歌も唱歌の同類であるという。自然の風物、教訓、希望、幸せ、、、。金田一によれば、西洋の讃美歌がお手本になっている。唱歌は教室や会合などで素人が合唱して楽しむ曲である。
安西愛子は唱歌は日本人の心に日本の美しさを教えてくれる上で大きな貢献をしていると記している。そして、旋律は単純で素朴である。それが飽きがこない美しさだ。和歌、俳句で練られた文語体が中心であるなどと教えてくれる。
「朝はどこから」:朝はどこから来るかしら あの空越えて 雲越えて 光の国から 来るかしら いえいえ そうではありませぬ それは希望の 家庭から 朝が来る朝が来る『お早う』『お早う』 昼はどこから 来るかしら あの山越えて 野を越えて ねんねの里から 来るかしら いえいえそうでは ありませぬ それは働く 家庭から 昼が来る来る 昼が来る 『今日は』『今日は』
「めだかの学校」:川のなか そっとのぞいて みてごらん そっとのぞいて みてごらん みんなで おゆうぎ しているよ めだかの学校の めだかたち だれが生徒か 先生か だれが生徒か 先生か みんなで げんきに あそんでる めだかの学校は うれしそう 水にながれて つーいつい 水にながれて つーいつい みんなが そろって つーいつい
「ぞうさん」:ぞうさん おはなが ながいのね そうよ かあさんも ながいのよ ぞうさん ぞうさん だあれが すきなの あのね かあさんが すきなのよ
「めだかのがっこう」「朝はどこから」「ぞうさん」、私はこの3つは今でも歌えるから、この人の影響が深く私にも残っているのだろう。改めて歌の威力に感じ入る。
「安西愛子は「唱歌は子どもたちに人生への夢と希望を与える」という。今でもテレビで唱歌を歌う番組がある。正装の男女がチームとなって、美しいメロディの唱歌を歌う。その歌を聴くと懐かしいと同時に、日本の美しい風土と日本人の心を感じる。子どもの時代に歌った唱歌は、大人にとっても大事な歌なのだ。金田一春彦が、唱歌は神を讃える讃美歌だといったことにも納得する。
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