「名言との対話」7月6日。高橋由一「油絵は写真に勝る」
高橋 由一(たかはし ゆいち、文政11年2月5日(1828年3月20日) - 明治27年(1894年)7月6日)は江戸生まれの日本の洋画家。享年66。
由一は本格的な油絵技法を習得し江戸後末期から明治中頃まで活躍した、日本で最初の「洋画家」といわれる。
40歳までは、江戸時代であり、佐野藩の剣術指南の家に生まれたが、幼少の頃から画才があらわれ、父もついに絵の道に進むことを許すことになった。西洋製の石版画をみて、その迫真の描写に感動し、洋画の道に進むことを決意する。その画業はほぼ独学であった。20歳で描いた「黒龍図」は狩野派の筆法で十分な力量を示した。35歳、幕府の調所画学局に採用される。39歳、英国人ワーグマンに師事しパリ万博に絵を出品。
明治6年(1873年)には官職を辞して画塾「天絵舎」をつくり、原田直次郎、高橋源吉(息子)、川端玉章ら、多くの弟子を育てている。
四国香川県の金刀比羅宮に「高橋由一館」があり、27の作品が収蔵されている。高橋由一は生活に身近な静物を描く。画面いっぱいにものを大きく描き迫力がある。接近した視点が、特徴である
大型の傑作「鮭」。縦長の画面に縄で吊され、なかば身をか欠き取られた鮭を描いた作品で、迫力がある。西洋の模倣ではなく、日本の油絵だと話題になった。縦長にしたのは、日本家屋の床の間にかけることを意識したのだ。
「豆腐」は、まな板の上に乗った豆腐、焦げた焼き豆腐、油揚げんなど、料理の途中のような置き方で描いている。「鯛」では、鯛の他に伊勢海老、大根、すだち、三つ葉などが描かれている。色、形、そして質感を描き分けている。芸術というより、詳細な写実的な説明という感じがする。
「読本と草子」は、本の微妙なしわなどが細かく描かれ、実物に近い感じがする。
「花魁」はいわゆる美人画ではない。頬がこけ、ごつごつした輪郭だ。描かれた花魁は不愉快な感じを持ったのではないだろうか。理想ではなく、現実を写実的に描いたということだろう。
なぜ絵を描くのか。高橋はそれを「治術の一助」という。実用の絵を志したのだ。浮世絵などは全く評価しない。「形を写すのみならず併せて物意を写得するが故に、人をして感動せしめるに足る」、つまり物が人に与えるメッセージを描こうとしたのである。
土木工事の記録画多い。庇護者であった三島通陽ととも各地を行脚し、建物をたくさん描いている。例えば、馬車が門にまさに入らんとする姿も描かれている「宮城県庁門前図」などがある。
「治術」とは国の統治、政治のやり方のことだ。つまり、絵画は芸術として鑑賞するものではなく、実際の生活の向上、建物に表現された政治の意図を示し、また実生活の向上をはかるものでなくてなならないという思想である。
高橋由一は「油絵は写真に勝る」という。写真では表現が難しい迫力ある生命の「真実」が見る人の胸を打つのだ、という主張である。ある展覧会で代表作「鮭」をみて、この言葉に納得した覚えがある。
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