「名言との対話」7月26日。ゲルダ・タロー「崩れ落ちる兵士」
ゲルダ・タロー(Gerda Taro、1910年8月1日 - 1937年7月26日)は、ユダヤ系ポーランド人の報道写真家。
本名はゲルタ・ポホリレ(Gerta Pohorylle)。スペイン内戦で活躍し、戦争の最前線を取材する女性フォトジャーナリストとして初めて死亡したとされている。
「タロー」はあくまで仕事用に作った架空の名前であり、ヨーロッパで増大する政治的偏見を克服し、アメリカ市場で良い収入を得るために作られた名である。ロバート・キャパ名の初期の作品の多くは実際にはタローによって作られたものが多いといわれる。因みに、タローはパリで交流のあった岡本太郎の名からとったものだそうだ。
キャパ(1913-1954)と言えば世界で最も著名な写真家の一人である。世界で最も偉大な戦争写真家だ。キャパは「現代フォトジャーナリズムの創案者にして父」との評価がある。キャパは1954年にベトナムで地雷を踏んで5月24日に死亡。
2013年のNHKスペシャル「沢木耕太郎が推理!戦場写真・最大の謎」をみた。キャパと恋人(タロー)の旅路、傑作を撮ったのは誰? 恋人が撮った写真で有名になった若いカメラマンのその後という触れ込みだった。
その後、みなと未来地区の横浜美術館で「キャパ展」が開かれたので訪問した。正確には「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」というタイトルであった。
このキャパという名前は、実はアンドレ・フリードマンと女性写真家ゲルダ・タローの二人が創りだした架空の写真家の名だったのだ。二人ともユダヤ系だった。そして二人とも戦場で命を落とす。タローは26歳の若さだった。
「ロバート・キャパとフェルダ・タローは、われわれを農家や畑、パンを買う行列、弾薬工場、駅、カフェ、劇場にも、塹壕にもつれていってくれる」。それは「君がいい写真を撮れないのは、あと半歩の踏み込みが足りないからだよ」という姿勢からきているものだ。
有名な「崩れ落ちる兵士」は、1936年にキャパが撮影したとされる傑作である。スぺイン内戦中の人民戦線政府の兵士がコルドバのセロ・ムリアーノの戦いの最中に銃弾を受けて倒れるところを至近距離から激写した写真であるとされた。ピカソの「ゲルニカ」と並び反ファシズムのシンボルとなった、キャパの代表作だ。沢木耕太郎の『キャパの十字架』や、NHKスペシャルでは、本当の戦闘時の写真ではないと指摘されていて、まだ真贋論争が続いている。
ゲルタ・ポホリレが本名の女性報道写真家は、フェルダ・タローという名前に変えることを余儀なくされて、そしてアンドレ・フリーマンとの合同のネーミングであるロバート・キャパとして歴史に名を刻んだのである。