「名言との対話」2月5日。安宅弥吉「お前は学問をやれ、俺は金儲けをしてお前を食わしてやる」
安宅 弥吉(あたか やきち、1873年4月25日 - 1949年2月5日)は、石川県金沢市生まれの実業家。
安宅弥吉は安宅産業創業者であり、また学校法人甲南女子学園の創設者であり、そして大阪商工会議所の会頭もつとめた。
同じ金沢の金石生まれで、幕末に加賀藩で活躍し藩の財政に大きな貢献をした豪商の銭屋五兵衛江の伝記を読み、大商人になろうと考えた。16歳で上京した安宅は東京高等商業(一橋大)へ進学する。東京本郷にあった石川県出身者のための久徴館で、鈴木梅太郎(のちの大拙)と出会う。「お前は学問をやれ、俺は金儲けをしてお前を食わしてやる」と約束したとされる。「君は学問の道を貫き給え、私は商売に専念して一生、君を支える」と言ったという資料もある。弥吉は大拙より3つ年下だったから、「君」の方が正しいかもしれない。あるいはこのエピソードは後の語り草だったから、違う表現だったかも知れない。誰が語ったかにもよるだろう。いずれにせよ、安宅は世界的禅学者となる大拙に生涯にわたって資金援助を行っているのがすごい。「世人の信を受くるべし」と言った銭屋五兵衛の言の通りの生き方のように思える。
大拙の根拠地となった松ヶ丘文庫の設立にも尽力した。文庫の入り口には、「自庵」(安宅の居士号)と題した頌徳碑があり、「財団法人松ヶ岡文庫設立の基礎は君の援助によるもの」と刻まれている。君とは十大商社の一角を占めた安宅産業創業者の安宅弥吉である。居士号とは在家でありながら優れた仏教修行者に与えれれる号で、大拙も居士号であり、その親友・西田幾多郎は寸心である。
商売については、安宅は若者たちに「いつもはヘイヘイ言っているが、ここというところでガンとやっつける。君たちのやり方はガンガンガンのヘイで、これはあかん」と語っている。ヘイとは相手の言い分を聞き入れることで、ガンとは自身の主張を通すことだ。安宅のやり方は「世の中すべてヘイ、ヘイ、ヘイのガンでやれ」であった。相手に大きく譲りながら、自分の言い分を通していくのが商売の極意ということだろう。
安宅弥吉の死から四半世紀たって安宅産業は経営危機に陥り、1977年に伊藤忠商事に救済合併されてしまう。私も就職して数年たったころであり、日本中が大騒ぎになったことを覚えている。その時、初めて安宅弥吉の名前を知った。これを知ったら弥吉は無念に思っただろう。今でも残っているのは息子の安宅英一がつくりあげた美術品の「安宅コレクション」だ。今は大阪市立東洋陶磁器美術館になっている。音楽分野にも若い音楽家を顕彰する「安宅賞」があり、中村紘子などの多くの才能が、この賞を受けて巣立っている。安宅弥吉は、文化と学校を遺したことになるともいえる。
鎌倉の東慶寺には、安宅弥吉、鈴木大拙、西田幾多郎、そして大拙を師と仰いだ出光佐三も眠っている。松ヶ丘文庫と東慶寺は訪問しなければならない。
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