「名言との対話」9月13日。後藤武夫「現地現認」
後藤 武夫(ごとう たけお、1870年9月13日(明治3年8月18日) - 1933年(昭和8年)2月25日)は、日本の実業家。
福岡県久留米出身。旧制福岡中学、東京英語学校、同志社などを経て、故郷で代用教員をする。21歳で結婚。1894年の日清戦争での友人の死で目覚め、大阪の関西法律学校に入学しトップクラスで卒業。福岡日日新聞記者を経て1898年、28歳で上京。母校の関西法律学校(後の関西大学)出身者と同郷の九州出身者の支援を得て1900年、30歳で「帝国興信所」を起業した。帝国興信所は3つの方針を掲げた。「脱俗」はもっともすぐれたという意味。「至誠努力」は詐欺師から守るためにひたすら努力せよ。「大家族主義」。そして「現地現認」を原則で、現在に赴き自分の目と肌で確認することを徹底した。1920年代の後半には、3大興信所の一角に食い込んだ。その後も、後藤は1916年に日本魂社を創業し、雑誌『日本魂』を刊行している。
2020年に帝国データバンク史料館を訪問した。市ヶ谷の防衛省の向かい側の10階建てのビルが帝国データバンク本社ビルだ。そのビルの9階に帝国データバンク史料室がある。帝国データバンクは企業情報を扱う企業と漠然とは知っていたが、この企業や業界の歴史と現在の姿を、よく整理された情報と最新の動画情報などで知ることができた。
「信用調査業」の始まりは1810年のイギリスのペリー社から始まる。もう200年以上の歴史がある業界だ。産業革命で経済取引が盛んになり、当事者による信用調査の限界を補うことが必要となったのだ。
日本では19世紀の末に大阪で外山脩造の商業興信所、東京の渋沢栄一らによる東京興信所ができ、そして1900年には後藤武夫が民間で初めて帝国興信所(後の帝国データバンク)を設立した。 1929年の雑誌「講談倶楽部」で「全国金満家大番附」のデータ調査を請け負っている。後藤は8ヶ月、2000名を動員した。それによると、横綱は三井八郎衛門と岩崎久弥、大関以下は住友、安田、大倉らの4大財閥が並んでいる。
大正から昭和にかけて、帝国興信所は北は樺太(サハリン)から中国、韓国、そして南は台湾まで29の海外支所を展開していた。この会社に関係した人々を展示していた。作家の山本周五郎は20代の前半4年間を帝国興信所で過ごしている。玄洋社の頭山満は後藤の人力車夫時代の贔屓の客だ。「浪聖」とうたわれた浪曲師・桃中軒雲右衛門とは兄弟分の盃を交わした仲だ。また徳富蘇峰、与謝野晶子、直木三十五は機関誌「日本魂」に寄稿している。小説家の三島由紀夫は「豊饒の海」の第4部「天人五衰」のために綿密な取材をしている。こうやって並べてみると、後藤武夫という人は、一筋縄ではいかない、ふところの深い傑物だったことがわかる。
「帝国データバンク」となったこの企業は、最近では周年行事のための印刷物も業務内容の一つになっている。「広報誌型企業史制作」である。A4で36pで150万円、6か月、500部。2020年で創立400年は鳴子温泉ホテルと虎屋本舗。130年はクボタとイトーキ、120年はいなげや、日新製粉グループ。110年は日立製作所、不二家。100年はマツダ、スタンレー電気、イトーヨーカ堂、リンナイ、キーコーヒーとなっていた。
個人の身元や経歴は「日本紳士録」や「人事興信録」がある。企業については「帝国信用録」「帝国銀行会社要録」などをこの会社が発行してきた。企業活動にとって「倒産情報」は貴重だ。直接の取引先はもちろん、その先の関係企業も破綻する恐れも出てくるからだ。一刻も早い情報が企業の命運を左右する。そのための企業情報を担ってきたのである。
「TDB24時」というビデオがよくできていた。83カ所の拠点があり、海外はニューヨークとソウル。企業価値の評価モデル。「倒産速報」で社会に貢献。法務経。コンサル。電子化。ネットショッピング時代。個人向け企業情報サービス。データベース事業コスモス。人事調査の廃止。1980年代以降は総合情報サービス業へ。1000人超の調査員。110万件の調査。、、、、私の就職活動時代にも活動していた興信所もすっかり様変わりしている。
現在の帝国データバンクのホームページをみると、企業理念の「行動指針」に「現地現認」という言葉がある。説明は、「何よりもまず動き、自分の目と耳で確かめます」だ。調査員が現地に行って直接確かめ周辺に聞き込み収集した詳細な情報をまおとめているので、信用がある。ることを徹底している。
トヨタの品質管理は「現地・現物・現実」である。製造業と同じく、「データバンク」事業と名前を変えている信用調査業も、「現場」を大切にしている。こういった「現場主義」は仕事の基本だ。人からの又聞き、数字で構成された統計などは、信用ならない。自分の眼で確かめなければ、間違ってしまう。私もいくつかの組織を経験してきて、現場をみないで失敗を重ねてきたから、その大切さは身に染みている。どこにいても、何をするにしても、現地・現認・現物・現実、そして「現場」感覚を大事にして、間違いを減らさなければ成功はおぼつかない。