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「名言との対話」11月12日。福田みどり「司馬(遼太郎)さんは、ヘンな人」

福田 みどり(ふくだ みどり、1929年昭和4年) - 2014年平成26年)11月12日)は、作家司馬遼太郎夫人。享年85?

福田みどり、こと司馬遼太郎夫人は、1996年の夫の没後は、司馬遼太郎記念財団理事長に就いた。

今まで「名言との対話」で多くの人の生涯と名言を書いてきた。作家の場合、その資料は自伝や作品を読むことになる。その過程で配偶者や、子どもがその人を回顧する本を手にすることがある。作家の日常と本音がみえるので、私はできるだけ読むようにしている。

愛読してきた司馬遼太郎の明るい日本史を堪能してきたし、洒脱なエッセイもよく呼んできた。また東大阪司馬遼太郎記念館で時間を費やしたこともある。

今回は、『司馬さんは夢の中Ⅰ』を読んで、夫人福田みどりさんからみた司馬遼太郎を堪能した。

みどりは司馬さんは「 ヘンな人」という見方をしている。妻から見ればどんな偉人も変な人なのだろうが、みどりさんの「ヘンな人」という言葉には愛情がある。

司馬さん。独特の透明感。道に迷っても絶対に人に尋ねない。服装に無頓着。時間の無駄。過去を振り返ることを極端に嫌った。極端な寂しがり屋。尋常ならざる風邪恐怖症。就寝ファッション「バンダナ、腕カバー、脚絆、靴下、」、、。照れるとあらぬことを口走る癖。机の引き出しのキタナイ人。冷ややか態度。、、、。

1970年の仕事量についても書いている。産経「坂の上の雲」、朝日「花神」、週刊朝日「世に棲む日々」、週刊新潮「城塞」、小説新潮「覇王の家」、オール読物「話のくずかご」、、と恐るべき仕事量だ。しかも途方もなく質が高い。しかし40歳前後であった司馬本人はいらだつこともなく普通に暮らしていた。このあたりは、やはり超人的なエネルギーを感じさせる。

以下、みどりさんが「安藤忠雄さんの設計で建物の隅々まで、透明感と清涼感が漂っている」という司馬遼太郎記念館を2005年に訪ねたときの私のブログから。

近鉄奈良線の河内小阪という準急の止まる駅で降りて、果物を売る店や食べ物屋のある昔風のアーケード商店街を歩く。途中で時計屋を見つけて、最近遅れがあってやや困っていた時計をみてもらうことにした。「2年半換えていなかった電池が原因」であると職人風の趣のあるご主人に換えてもらう。

「日本史を独力で書き換え、戦後の日本人に誇りと自信を植えつけた司馬遼太郎の記念館を東大阪市に訪ねたとき、自宅の玄関には「司馬遼太郎(福田)」との表札があり、みどり夫人が住んでいる裏の表札には「福田(司馬)」とあった」。

雑木の繁る庭を歩くとすぐに司馬遼太郎の書斎の前に出た。写真などでよく見かける書斎で、窓越しに執筆や本を読む姿が浮かんでくるようだ。ちょっと斜めになって原稿を書くくせがあったとかで、机は手元の側で緩やかにカーブを描いた変形仕様。万年筆や色鉛筆、ルーペが亡くなった当時を偲ばせる
ように置いてある。
記念館は、建築家の安藤忠夫の設計で、この家の隣に建っている。地下から一階に向けて有名な大書架があり、2万冊が収納してあるそうだ。蔵書は4万冊。

大書架の下の方にはものを置く台があって、故人のゆかりの品が並んでいる。推敲用の色鉛筆がとてもカラフル。独特の黒ブチのメガネ、懐中時計。、、、年譜を見ると72歳で死去するまで、驚くべき量の仕事をこなしたことがわかり改めてそのエネルギーに敬服した。96年2月12日の死去のあとも、96年8冊、97年4冊、98年5冊、99年6冊、00年7冊、01年4冊と対談集や書簡集が続々と世に出ている。「蔵書は司馬遼太郎の頭脳の延長」と誰かが言ったというが、下から11メートルに及ぶ蔵書や著作を見ていると、圧倒的な迫力で存在が迫ってくるようだ。

コンクリの天井部分に雨の「しみ」が浮き出ていた。そのしみは写真で見る竜馬の上半身にそっくりで「竜馬が現れた」と話題になっていて、愉快だった。

司馬遼太郎を一度だけ見かけたことがある。2003年に大阪のホテルで開かれた、民族学者・梅棹忠夫先生の文化功労者のお祝いの会だった。きらめくような各界著名人の中に、黒と茶をコーディネートした衣服を纏った、あの白髪に黒ブチの眼鏡の司馬遼太郎がいた。会場の中で、一瞬そこだけ光が当っているような錯覚に陥ったことを、今も鮮明に記憶している。

「コーヒーを飲みながら受付で買った『以下、無用のことながら』というエッセイ集を読んでいると、あの優しい眼差しの司馬遼太郎が傍らにいるような不思議な柔らかい感覚があった。そしてたしか「遼」という雑誌にあった「もっとちゃんと考えな、あかんで」(誰かに言ったことば)という声が聞こえたような気がした」。

2時間ほどの贅沢な時間を過ごして、八戸ノ里といいう駅に向かう。こちらは、河内小阪に較べて駅前は風情が乏しい。「以下、無用のことながら」という文庫を読みながら、近鉄電車で難波に向かったのだが、その中に「駅前の書店」というエッセイがあった。私が電池を換えたのはこの中に出てくる日本堂だった。河内小阪から司馬遼太郎記念館、そして八戸ノ里というルートは正解だったらしい。

二人は産経新聞の同僚だった。トモダチからコイビトになって、結婚してしまう。結婚式も披露宴もしていない。一枚の写真もない。 「僕たちは弱点で結ばれたんだから、毀れることないよ」は、夫の司馬遼太郎の言葉だ。期待もないから期待外れもないということだろうか。こういう結婚もあるのかと少しおかしくなり、大作家に親しみを感じる。妻から見ると、偉大な小説家も「ヘンな人」だったのだ。


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