「名言との対話」11月21日。内田繁「弱さのデザイン」
内田 繁(うちだ しげる、1943年2月27日 - 2016年11月21日)は、インテリアデザイナー。享年73。
横浜市出身。日本を代表するデザイナーとして、商業・住空間のデザイン、そして家具、工業デザインから地域開発に至るまで、幅広い活動を国内外で展開した。美術と建築の総合学校であるドイツのバウハウス思想を継承した日本初のデザイン学校・桑沢デザイン研究所の出身者。彫刻の佐藤忠良など実務家が講師をつとめた桑沢デザイン研究所で、内田は所長もつとめデザイナー、クリエータなどデザイン人材を育てている。
六本木WAVE、山本耀司ブティック、科学万博つくば’85政府館、ホテル・イル・パラッツオ、神戸ファッション美術館、茶室「受庵、想庵、行庵」、門司港ホテル、オリエンタルホテル広島などが代表作。また、メトロポリタン美術館、サンフランシスコ近代美術館、モントリオール美術館、デンヴァー美術館等に永久コレクションが多数収蔵されている。
内田繁の『普通のデザインー日常に宿る美の形』を読むと、フランスの学制改革に端を発したパリ5月革命から始まった1968年の世界的な若者の政治運動が原点であることがわかる。日本では全共闘運動の時代だ。このとき、20代半ばの内田は世の中のパラダイムが転換する未来が見えたと言う。社会のために人間をつくる工業社会から、個人のための社会をつくる情報社会への移行という大きなイメージである。
「デザインは心身のあらゆる側面に寄り添う仕事だ」「デザインとはすべて観察から始まる」「「美」は日常の中にある」と語る。「デザインとは、人間の暮らしを豊かにするものである」「日常の暮らしを清潔に簡便で穏やかに、そして能率的にできている国が良い国であり、日常の生活文化が良い国をつくっている」、これが内田繁の情報時代のデザインの思想である。
日本文化の根源的性格は、「弱さのデザイン」にあるとし、それを自覚し近代を超克しようとする運動の最前線に内田は立った。わびしさ、はかなさ、心ぼそさ、、、こういう弱さを逆転し美に転換したのが日本文化なのだ。
デザインはものをつくりだす。それは強さを生む。その世界に「弱さ」を導入したことで、日本文化の本質をえぐり、それを強さのデザインを追う近代、世界を挑発したのである。日常、普通、無常、弱さ、というデザイン思想は時代の転換期をとらえた。
7つほど年下の私も1968年をともに生きたが、内田繁のように明確な時代のパラダイムの転換イメージを持つことはできなかった。負のイメージである「弱さ」に着目したのは慧眼であった。
2007年時点で60代初めの内田は、デザイナーの今後のテーマとして、「個人のための社会」「地域・民族の固有文化の尊重」「歴史に学ぶ態度」「地球規模で考える」、を挙げている。歴史と地理に学び、地球規模で個人の豊かさを考えようというメッセージととらえたい。