「名言との対話」12月11日。山本富士子「今日の自分が一番好きといえる自分でありたい」
山本 富士子(やまもと ふじこ、1931年12月11日 - )は、日本の女優。
大阪市生まれ。ミスコンテストのはじめとなった「ミス日本」の第1回で満票でグランプリをとる。それがきっかけとなって、「仕事を持とう」と1953年に大映に入り、「花の講道館」でデビュー。ヒット作「金色夜叉」「夜の河」、1958年の小津安二郎監督の「彼岸花」などのヒロインとして活躍する。
1963年にはフリーを主張し、俳優や監督の引き抜きしないという五社協定違反として、映画界から追放の憂き目にあう。日本一の美人女優、着物が似合う女優として有名な山本富士子は「明治の女」などのテレビドラマや演劇に活路を見出していく。
色と欲がテーマの「夜の蝶」(川口松太郎原作)では、魅力的な上羽秀の役を演じていることを上羽秀のことを書いた時に知った。映画自体は見ていないが、その役はあたりだっただろうと想像する。
1962年に古賀政男門下で同姓の作曲家・山本丈晴と結婚し、当時話題になったことを覚えている。先日山梨の河口湖を訪ねたおり、湖畔に古賀政男記念公園を発見した。古賀は戦時中の疎開先である河口湖で青年たちを励ました。そのことが古賀政男の記念碑の解説に記されていた。そこに古賀政男記念財団理事長という肩書で山本丈晴の名前をみかけた。
私の知っているエピソードを少し。桜井長一郎という物まね名人は、山本富士子がセリフをいう前に「ひっ」というクセがあるのをよく真似して受けていたことも思い出す。リンゴの王様である「フジ」という品種は、山本富士子から命名されたとのことである。
2017年7月21日の「徹子の部屋」では、座右の銘は「今日の自分が一番好きといえる自分でありたい」と語っている。一瞬、一日の時間を大切にした人である。時は過ぎ去るのではない。時は積み重なるものなのだということを知っている人だと思う。
この女優は「再演」も大事だという。ずっと役を続けていると深く入っていき、あると気づくこともあるともいうから、ここでも「時間」を強く意識した人だったという気がする。
また「言葉」の力を信じた人でもあった。会う人からいい言葉を教えてもらうと、それをメモって自分にい聞かせるという習慣をもっていた。
日本一の美人女優・山本富士子は、意外なことに「時間」と「言葉」を意識し、大事にした人であったというのが今回の私の発見である。