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「名言との対話」1月19日。目黒孝二「ありがとう。君たちのことは忘れない」
目黒 考二(めぐろ こうじ、1946年10月9日 - 2023年1月19日)は、日本のエッセイスト・文芸評論家・編集者。享年76。
東京出身。高校時代に読書に目覚める。明治大学文学部卒業。ユニークな『本の雑誌』の発行人として知られているが、著書も多い。
『本の雑誌 風雲録』(本の雑誌社)。サブタイトルは「書き下ろしドキュメント 配本部隊10年目の記録」とあるように、『本の雑誌』の誕生から、自らが率いた直販の配本部隊総勢70人との交流を描いた作品である。相棒であった椎名誠との関係など、なかなか読ませる本だ。
大学卒業後、就職したいくつかの会社を「本が読めなくなる」との理由で、3日で退職することを繰り返した。この過程で24歳だった椎名誠と知り合い、面白かった本を紹介した文章を渡し、そのコピーの回覧が評判となり、1976年に遊び感覚で椎名誠と雑誌『本の雑誌』を創刊する。
郊外で読者をつかみ、都心を攻略していくというドーナツ配本作戦で成果をあげていく。都内から、横浜、八王子方面まで書店をまわっていく。書店への配本を取次に頼まずに自分たち自身で配ったのだ。雑誌ビジネスには、作る人だけでなく運ぶ人も必要なのだ。70名の本部隊員の名前や奮闘ぶりが描かれている。直販雑誌は手間がかかり面倒だが、だからこそ面白いのだ。「あとがき」の最後には「ありがとう。君たちのことは忘れない」というメッセージがある。
目黒は、みんながかつかつ食えればいいという考えだった。忙しくなると本を読む時間が無くなるからだ。自身は「本を読むより、本のそばにいることが好きなのだ。どんな本であっても、本は何かを語りかけてくる。それに耳を傾けることが好きなのかもしれない」とも語っている。当時は目黒は39歳あたりの年齢だ。この本は、1985年に日本ノンフィクション賞の候補になっている。
目黒孝二は私小説では目黒孝二、ミステリー文学評論では北上次郎、趣味の競馬評論では藤代三郎のペンネームも使っていた。
目黒孝二名義の著書を眺めると、「活字」という言葉が入っているタイトルが多い。『活字三昧』『活字浪漫』『活字学級』。また『笹塚日記』というエッセイは、「親子丼篇」「うたた寝編」「ご隠居篇」などがある。
北上次郎名義では、『冒険小説の時代』『冒険小説ベスト100』『面白本ベスト100』『書評稼業四十年』などがある。
藤代三郎名義では、競馬に関する日常を描いた連載をまとめたものが多い。
2000年には『一人が三人 吾輩は目黒孝二・藤代三郎・北上次郎である。』を刊行している。
目黒孝二、この人のことは名前しか知らなかったが、『本の雑誌 風雲録』を読んで、本好きがたどった人生行路の原点をみることができた。目次の前には「『本の雑誌』を選んできた人々へ」というメッセージがあり、「あとがき」は「ありがとう。君たちのことは忘れない」で終わっている。70名の配本部隊への愛情のこもったメッセージである。目黒孝二のあたたかい人柄を感じる。こういう人にはファンが多かっただろう。
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