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安倍晋太郎「オレは岸信介の娘婿はじゃない。安倍寛の息子なんだ」

安倍 晋太郎(あべ しんたろう、1924年(大正13年)4月29日 - 1991年(平成3年)5月15日)は、日本の政治家。

終戦後、改称された東大法学部に復学、卒業して毎日新聞社に入社。1982年、総裁予備選で中曽根康弘、河本敏夫に次ぐ3位。中曽根内閣で外相を務め、竹下登、宮沢喜一とともに次世代のリーダーとして期待された。農林大臣、官房長官、通産大臣、外務大臣、自民党国対委員長、自民党政調会長、自民党総務会長、自民党幹事長を歴任した。1987年の総裁びでは中曽根裁定で竹下に首相の座を譲る。衆議院議員の安倍寛の長男。岳父に岸信介、義理の叔父は佐藤栄作、次男は安倍晋三である。

『総理になれなかった男たちーー逆説的指導者論』(小林吉弥)という面白い本がある。石田博英―「一匹狼」の限界。大野伴睦―「義理と人情」のもろさ。緒方竹虎―「未知数の魅力」の幻想。川島正次郎―「ナンバー2」の恍惚に埋没。河野一郎―敵をつくりすぎた男。椎名悦三郎―「省事」が情報を遠ざけた。灘尾弘吉―高潔「覇道」を拒否。藤山愛一郎―「下積み時代」を持たなかった。保利茂―「密室型演出者」の自覚。前尾繁三郎―「根本主義」から抜け出せず。松村謙三―反骨と進歩性は「少数派」の宿命。三木武吉―稀代の謀将は「変幻自在の処世術」。そしてトップに挙げているのは、安倍晋太郎―ついて回った「脇の甘さ」だ。「プリンスメロン」とも呼ばれる甘さを指摘している。その他、副総裁の渡辺美智雄、二階堂進、総裁をつとめた河野洋平、谷垣禎一などの名前が浮かんでくる。

青木理『安倍三代』(朝日文庫。2019年4月刊行)を読んだ。「日本の政治は、もはや『家業』と化してしまったのか」で、このルポは始まる。安部晋太郎はリベラリズム、現場主義、絶妙なバランス感覚を持っており、特に接した人が異口同音に「バランス」という言葉を使った人がらだ。最後はリクルート事件に遭遇するという不運に見舞われ、またガンという病魔に犯されて総理の座はつかめずに1991年に67歳で世を去った。「頑張ったしなぁ、ここまでこれたのになぁ」と淡々と語っていたという証言も紹介されている。

最後の「解説」で東工大教授の中島岳志は、安倍晋三のルーツをタ丹念に探った本書で、野党時代に右派イデオロギーに接近する晋三の姿を明らかにした功績を評価している。晋太郎は「オレは岸信介の娘婿はじゃない。安部寛の息子なんだ」が口癖だった。戦時中に戦争に反対した父親の寛を誇りにしていた。その志を継いだ安部晋太郎は、リベラル保守の政治家として大成していく。

中島がいう「リベラル保守」とは、寛容と自由を基盤に置き、「大切なものを守るために変わる」政治思想である。改革への可能性を掲げ、自らも変わることを恐れない立場だ。「大切なものを抱きしめる」保守でも、「自由」を標榜し革新を唱えるリベラルでもなく、寛容な保守、変化する保守とでもいうのだろうか、そのリベラル保守政治家のモデルと中島はみている。二代目の安倍晋太郎はその真価を存分には発揮することはできなかったが、その政治もみたかった気もする。それは長期政権を実現した三代目の安倍晋三とは違った姿になっただろう。

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