「名言との対話」9月8日。徳田八十吉(三代目)「作家の年輪は作品の積み重ねです」
徳田八十吉(1933年9月14日 - 2009年8月26日) は、九谷焼作家 。
初代徳田八十吉の孫。金沢美術工芸大学短期大学工芸科陶磁専攻中退後に、初代、二代目等に師事し、1988年に三代目を襲名する。1991年に第11回日本陶芸展で、大賞・秩父宮賜杯を受賞した。1997年に重要無形文化財「彩釉磁器」の保持者(人間国宝)に認定される。釉薬で色彩を調整した鮮やかな群青色に強い個性がある。海外にも多くの作品を発表して高い評価を得た。また、古九谷の学術研究にも尽力した。
初代徳田八十吉(1873年11月20日 - 1956年2月20日)は、古九谷の五彩を再現し、国の無形文化財になった。養子の二代目徳田八十吉(1907年11月1日 - 1997年9月8日)は県無形文化財。三代目徳田八十吉(1933年9月14日 - 2009年8月26日)は、その上に立って「耀彩」(ようさい)という革命的な手法を編み出して重要無形文化財(人間国宝)になった。古九谷の色の伝統の上に立ったグラデーション効果という革新のきらめきを感じる。そして四代目徳田八十吉(1961年 - )は三代目徳田八十吉の長女である。
2011年1月3日に横浜そごう美術館で「追悼 人間国宝 三代徳田八十吉展 煌めく色彩の世界」を観た。三代徳田八十吉は伝統のある花鳥風月の九谷焼に抽象という概念を入れ、200以上の中間色を創り出し、宝石のように煌めくグラデーション作品を発表した。三代目は、後を継ぐことをいやがっていたが、画家の中村研一から「そんなにイヤならやればいい。そうしたら新しいものができる」と言われて、その気になった。宝石のような煌めきと透明感を持つ抽象表現という独自の表現に行き着いた。作品は素晴らしかった。因みに石川遼選手の2008年の初優勝のときのトロフィーは徳田八十吉の作品である。
「アーチストの道は棄ててクラフトマンの道を歩こう」と思った。芸術家ではなく、そして職人というより工芸家の道を選んだ八十吉は「自分の上の世代の作風をまねしたくない。僕は僕の作品を作る」と高い志を持って、「絵」ではなく「色」へ向かっていった。『徳田八十吉古希展 感謝の集い』では、「齢七十、遺された人生を、一生懸命、淡々と生きてゆきたいと思っています。作家の年輪は作品の積み重ねです。少しでも大きくなればと思っています」と挨拶をしている。伝統と革新を意識した工芸家という自分の道を最後まで歩んで行こうという決意である。作家の生涯というものは、日々、年々の作品の積み重ねがいつか太い年輪となっていくものであろう。