「名言との対話」9月9日。加藤紘一「国会で、今生きている老若男女の日本人の“幸福観”を議論したらどうだろうか」
加藤 紘一(かとう こういち、1939年(昭和14年)6月17日 ‐ 2016年(平成28年)9月9日)は、日本の外務官僚、政治家。享年77。
名古屋で生まれ、山形県鶴岡市で育ち、東京へ。日比谷高校を卒業。東大理科一類不合格。翌年文科一類合格。法学部政治コースを卒業、外交官試験に不合格。公法コースに学士入学・卒業し外務省に入省。中国語を選択、日中関係をライフワークにしようと決意する。
池田勇人、前尾繁三郎、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一、加藤紘一と続く、保守本流の名門派閥・宏池会。政策に明るいが政争に暗い「公家集団」と揶揄される宏池会。中道、リベラルの宏池会。その名は安岡正篤が命名した。加藤紘一は「宏池会のプリンス」と呼ばれ、 防衛庁長官、内閣官房長官、自由民主党政務調査会長、幹事長、宏池会会長を歴任し、「総理に一番近い男」とも言われた。そして経世会に対して、Y(山崎)K(加藤)K(小泉)でYKKとして対抗軸を結成した。
宏池会は自民党内のハト派の拠点であった。宮澤喜一は、リベラルとは「一億一心の対極」にあると述べている。一億火の玉、一億総保守、、など時代の空気に同調しない。主義主張を声高に論じるのではなく、全体の制約から距離を置いて、独立した個人とした自由な生き方、自分で考えることを抛棄しない、自立自尊、それがリベラルであるということだろう。
しかし、2000年6月の森内閣打倒を目指した「加藤の乱」の失敗で宏池会会長を退く。2002年、事務所代表が起こした問題の責任をとって議員辞職。
その名門宏池会は「加藤の乱」以降、分裂した。加藤派は、小里派、谷垣派になっていく。堀内派は、丹羽・古賀派、古賀派となっていく。2012年に谷垣派と古賀派が合流し、岸田派になる。2024年に岸田派は岸田文雄が解散する。
2007年発行の著書『強いリベラル』で、加藤は小泉政権以降、自民党は市場原理主義に軸足を移し、共同体が破壊され、格差社会を生んだと批判している。また「保守」とは、コミュニティをまとめる側に立つことであり、「リベラル」は、他人を気遣う心であり、理想主義と責任感を兼ね備えた政治勢力の結集を「強いリベラル」の旗で表現している。
2009年の衆議院選挙で復活当選、2012年落選し、政界を引退。 2014年夏、インパール作戦で殉職した日本兵の慰霊のため、古賀誠と伴に訪れたミャンマーで倒れた。
加藤は議員辞職後に、地元山形で少人数のタウンミーティングを繰り返す。そして自分が今まで得意になって考えたり偉そうに語ってきた社会保障政策って一体なんだったろうと考え直し、政治は国民の「幸福」と「豊かな暮らし」を議論するところから始めるべきだと考えるようになる。失敗と逡巡も多かった政治家・加藤紘一の国会に向けての真実の遺言である。 個人の人生と生活にとって一番のテーマは「幸福」と「豊かな暮らし」だから、そこから出発するのがいい。
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