「名言との対話」6月18日。寺内タケシ「命がけでやってみないか」
寺内 タケシ(てらうち タケシ、本名は同じ読みで「寺内 武」、1939年1月17日 - 2021年6月18日)は、日本のギタリスト、作曲家、編曲家、音楽プロダクション経営者、実業家。享年82。
茨城県土浦市出身。父は実業家、母は三味線の家元。5歳でエレキギターを作成する。そして傷痍軍人の病院などで福祉活動として演奏を行った。このエレキギターなどをめぐって9歳からの父からの勘当は10回を数えるほど親子の対立は深かった。
1962年に「寺内タケシとブルージーンズ」を結成。1965年には来日公演中のベンチャーズと共演。
エレキギターは不良少年をつくるとして学校から排斥されていて、高校生から相談を受けて、高校に乗り込むが、相手にされない日々が続く。唯一受け入れてくれたのは、父がつくった母校の土浦三高で演奏することができた。それがきっかけとなって、全国をめふる「ハイスクールコンサート」は最終的に1500校近くに及んだ。
話を聞いてくれた先生にどういう音楽がいいかと聞くと、クラシックと民謡という答えだったことから、1967年にベートーベンの「運命」、そして「津軽じょんがら節」をエレキギターで演奏するレコードを出すことになった。前者は日本レコード大賞編曲賞、後者は日本レコード大賞企画賞を受賞している。
白血病の少女に生演奏を聞かせようということから始まったソ連ツアーを3回開催している。いずれも一月以上で、40万から60万近くを集客している。
2004年にはエレキギターの優れた演奏と情操教育への貢献があるとされ文化庁長官表彰を受けた。2008年には社会貢献活動者を表彰する緑綬表彰を受章している。
私の高校時代にはエレキギターが流行した。そしてその代表格であった「寺内タケシとブルージーンズ」の盛名と高度なテクニックの演奏スタイルは記憶にある。しかし、「不良」といわれたエレキギターという時代を切り拓いていった苦労を今回始て知った。また慕ってくる少年たちや白血病などの不幸に見舞われた少女らへ尽力するなどの持続的な福祉活動には頭が下がる思いがした。
エレキギター弾き語りの演奏では、「いつの時代も大人は守ってくれないもんだ」と語っていた。高校生へのメッセージは「命がけでやってみないか」だった。
1987年の48歳の時の「徹子の部屋」では、父との確執を語り、筑波万博の総合プロデューサーとなった時に、会議で市議会議長の父より上位の席について、父は退席したというエピソードを紹介している。亡くなる寸前には「よくやってきたよな」と言われたことを披露している。エレキギターの発明は5歳の寺内タケシであるとビートルズが証言しているそうだ。
動画でみた演奏時の弾き語り、「徹子の部屋」での語りをみたが、今まで抱いていたイメージとは違う尊敬すべき人であった。エレキギターに命をかけた生涯だったのだ。命をかける対象は何でもいい。「いつの時代も大人は守ってくれないもんだ」から大人のいうことは聞かずに、好きなものに「命がけで」でやってみる。それが「よくやってきたな」につながっていく。寺内タケシのやさしさと、やっていることと、そこから導き出されたメッセージは、多くの若人や弱い人たちを励まし続けたことだろう。茨城県筑西市には寺内タケシ記念館がある。