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「名言との対話2月8日。田勢康弘「ジャーナリストの究極の使命は、メガ・ファクツ(超事実)の発掘にある」
田勢 康弘(たせ やすひろ、1944年10月8日 - 2023年2月8日)は、日本の政治ジャーナリスト。享年78。
満州国黒龍出身。立川高校から早稲田大学政経学部卒業後、日本経済新聞社に入社。政治部記者、ワシントン特派員、ワシントン支局長、政治部次長、編集委員、論説副主幹、コラムニストを歴任した。1990年代以降、積極的な言論活動を行う。1996年、日本記者クラブ賞を受賞。
2005年の衆院選より、『筑紫哲也NEWS23』(TBS)の選挙前予想スペシャルにてコメンテーターを務める。以降、『報道ステーション』(テレビ朝日)など他の番組でもコメンテーターを務めるようになった。早大雄弁部出身とは意外だった。2006年から2010年まで早大教授。
テレビや新聞などのメディアでよく姿を見かけた。仙台にみえた時には話を聞き、名刺を交換したことを思いだした。このジャーナリストは、政局予想には定評があった。
1990年代に「自由民主党羽田派の離党による非自民連立政権が組織される」などの政局予想小説『総理総務室の空耳』を匿名で書いている。
1993年に宮澤喜一内閣不信任案の採決で、自民党羽田派が賛成にまわり可決された。新生党と新党さきがけが誕生し自民党は分裂する騒ぎになった。総選挙では日本新党も誕生し、新党ブームが起こる。新生党の小沢一郎代表幹事は、社会党・新生党・日本新党・民社党・さきがけ・社民党・民生連の8党を糾合し、非自民非共産の細川護熙(日本新党党首)を首班とする連立政権を発足させる離れ業を演じた。その予想「自由民主党羽田派の離党による非自民連立政権が組織される」が見事的中したことで話題となった。覆面作家黒河小太郎の正体が自分であったことを後に告白している。
2007年の参院選でも、他の予想が「民主党はやや不利」であったが「小沢民主の圧勝(自民39:民主56)」を予想した。実際の獲得議席は、自民37、民主60であったから、的中したと言ってよい。そして2008年には民主党政権が発足している。
こう見てくると田勢康弘の慧眼には驚くほかはない。とくに、非自民非共産の8党連立政権の誕生をに国民はあっと驚いたが、予測していたとは今回初めて知った。
田勢康弘が亡くなった2023年2月8日の前日には政治評論家の森田実も鬼籍に入っている。森田は1989年の参議院選挙で日本社会党が大勝したときに、「社会党の終りの始まりになる」と予測している。冷戦の終結により、社会党は衰退していく。この人も選挙での各党の獲得議席をあてる名人だった。2023年は、二人の政治評論家を失ったことになる。政治評論家という職業がある。細川隆元、戸川猪佐武、伊藤昌哉、岩見隆夫、竹村健一などの顔が思い浮かぶ。権力との距離感のとり方など、難しい仕事だと思う。政治評論家の系譜も調べてみたい。
田勢康弘『ジャーナリストの作法』(日本経済新聞社)を読んだ。1998年4月の刊行だ。53歳のときの書き下ろである。ジャーナリスト30年経った時点の、ジャーナリスト論で、興味深く読んだ。
田勢は「政界記者」ではなく、政治記者、ジャーナリストを自覚していた。「志は高く、視線は市井の目から」「できるだけ平易に、それでいて陳腐ではなく、やや意表をつく書き出し」「漢字の少ないやさしい言い回し」(「田勢節」)「信条は、何事も普通に」。
ライフワークは「指導者論」。日本の指導者の劣化現象。他の諸国」との比較で彼我の差が特に大きいのは「志高く生きる」という自覚である。指導者は、「命を懸ける」覚悟で臨まなければならない。品のない国になってしまった。日本の繁栄は一行の記述でとどまるほどのものでしかない。
この本で興味をひいたのは第7章「ジャーナリストのかたち」だ。数人の尊敬するジャーナリスト論である。彼らはみな作家でもある。
日経の先輩の水木楊こと市岡楊一郎。市岡方式、市岡イズムという言葉があるように記者のチームを引っ張っていくオルガナイザー。2021年没。享年83。
NHKの手嶋龍一。日米双方に深いニュースソースをもつ。世界的規模で得体が知れないほどたくさんの情報源をもっている。驚くほどの人脈と博覧強記。
筑紫哲也。代表的メディアをすべて経験している。一匹狼的に生きるダンディズム。2008年没。享年73。
佐高信。同じ歳。同郷。徹底した反骨精神。とびきりの毒舌の評論家。やさしい人。月刊佐高。同世代、若い人、女性の友だちが多い。
最後に田勢康弘自身のジャーナリスト論を聴こう。「歴史の目撃者ではあっても、当事者ではない」「「冒険」こそジャーナリストの命だ」「歴史家でなければならない。歴史的にみてどういう位置づけ、どういう意味があるのとい「鳥の目」からの自問自答作業が要る」「個性ある優秀なジャーナリストを抱えていないメディアは凋落していく」「志を高く持ちながら、ジャーナリストを続けるというのは、覚悟がいる」。
「君は将来、芥川賞をとるような人になる」と高校の先生から言われた田勢康弘は、日経を、日本を代表するジャーナリストになった。この人は「志」という言葉をよく使う。その志とは何か。「ジャーナリストの究極の使命は、メガ・ファクツ(超事実)の発掘にある」というこの本の最後の言葉がそれだろう。虫の目で膨大な情報の断片を根気よく拾い集めながら、それを組み合わせてジグゾーパズルのように鳥の目で集大成した一枚の大きな絵を描くことだろうか。歴史家の視点を携えたジャーナリストをめざしたのだろう。
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