「名言との対話」6月19日。ルー・ゲーリッグ「しかし、今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています」
ヘンリー・ルイス・ゲーリッグ(Henry Louis Gehrig, ドイツ語:Heinrich Ludwig Gehrig(ハインリヒ・ルートヴィヒ・ゲーリヒ), 1903年6月19日 - 1941年6月2日)は、メジャーリーグのプロ野球選手。
ニューヨーク市生まれ。1920年代から1930年代にかけてニューヨーク・ヤンキースで活躍した名選手である。17年間で1995打点を挙げ、生涯打率は3割4分。1927年と1936年にはアメリカンリーグMVP。1934年には三冠王。本塁打王3回、打点王5回。打率.350以上6回、150打点以上7回、100四球以上11回、200安打以上8回、40本塁打以上が5回。1931年の184打点は未だに破られていないア・リーグ記録である。ルースとゲーリッグの二枚看板を中心とした強力打線は「殺人打線」と呼ばれヤンキースの黄金時代を築いた。
1934年の来日時、沢村栄治の好投による「完封負け」の危機から全米軍を救ったのがゲーリッグのソロ本塁打による1点だったから、日本でも強い印象を与えた。
連続試合出場記録は2130試合という世界記録は、後に「鉄人」と呼ばれた衣笠(2215)、リプケン(2632)に破られる。
1939年には当時史上最年少で殿堂入りを果たし、MLB史上初めて自身の背番号「4」が永久欠番に指定された。『トータルスラッガーズリスト メジャーリーグ万能強打者列伝』第二巻(著者:箭球兜士郎 野球文明研究所)には、打撃成績が詳しく紹介さている。
愛称は「アイアン・ホース」、そしてライバルであった動的なベーブ・ルースとの比較で「静かなる英雄」とも呼ばれている。ゲーリッグは1941年6月2日に37歳の若さで亡くなる。翌1942年にゲーリッグの半生を描いた『打撃王』が公開されている。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)と知ったゲーリッグは引退を決意し、連続試合出場記録は本人に手で幕を閉じている。衝撃を受けた世間は、この病気を「ルーゲーリッグ病」と呼んだ。手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく。しかし、体の感覚、視力や聴力、内臓機能、そして精神機能にはダメージはない。難病である。
ベース・ルースもかけつけた「ルー・ゲーリッグ感謝デー」での挨拶は、「ファンの皆様、ここ2週間に私が経験した不運についてのニュースをご存知でしょう。しかし、今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています」だった。1941年6月2日に没。
「鉄の馬」と称される、14年間無休の頑強なスラッガーは、ALSという難病で野球選手としての活躍を絶たれている。そういう不運がなければ、連続出場記録はさらに伸びていただろう。数々の記録もさらに華々しいものになったはずだ。37歳という短いが濃厚な生涯については、本人は「幸せ」だとしている。ルー・ゲーリッグは、記録とともに記憶に残る英雄だった。