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「名言との対話」2月6日。アーノルド・スピルバーグ「息子はすっかり映画に心を奪われていました」

アーノルド・スピルバーグ(1917年2月6日ー2020年8月27日)は、GE初のコンピュータ開発に貢献したアメリカの電気技師。

6歳で間に合わせの自分用の実験室を作り、9歳で鉱石ラジオキットを入手し、ラジオを通して友人を作り、それまで存在すら知らなかった人と話すようになった。シンシナティ大学で電気工学を勉強して1949年に学位を取得。RCAを経て1955年、ニューヨーク州スケネクタディにあるGE(ゼネラル・エレクトリック社)のコンピュータ部門に入社。小型メインフレームコンピュータのデザインに従事し、初のコンピューター制御式「オーダーエントリーシステム」のキャッシュレジスターの開発に貢献したことで知られる。1963年にGEを退職。それから40年以上を経た2006年、「現代のフィードバックおよび制御プロセスの定義に大きく寄与した、リアルタイムのデータ取得と記録に対する貢献」を認められ、IEEEコンピュータ・ソサエティから「コンピュータ・パイオニア」として表彰されている。

「ジョーズ」(75)、「未知との遭遇」(77)、「レイダース 失われたアーク」(81)、「E.T.」(82)、「ジュラシック・パーク」、「シンドラーのリスト」、「プライベート・ライアン」(98)など映画監督として大ヒットメーカーのスティーブン・スピルバーグや、脚本家のアンは子どもたちだ。彼らは「父親のおかげで研究すること、考え方を広げること、そして地に足をつけながらも星に想いを馳せることを愛するようになりました」と語っている。

息子のスティーブンが仕事場に来たとき、工場とエンジニアリングフロアを見せたことがある。「エンジニアリングに興味を持ってもらおうとしたんですが、息子はすっかり映画に心を奪われていました。最初はがっかりしましたが、すぐに映画制作の才能があると気がつきましたよ」。スティーブンは「父はコンピュータの機能について説明してくれたんですが、当時の僕にはコンピュータサイエンスの話は外国語みたいなものでした。なんだかとてもエキサイティングだったけど自分には無縁のものだと思っていました。それが80年代になって初めて、父のようなパイオニアが創り上げたものが生活必需品になっているんだと気付かされたんです」

息子のスティーブン「プレイステーションや携帯電話、あるいは小さな計算機からiPadまで、見るたびに『父と天才チームが始めたんだ』と思うものです」。娘のスー「父はラジオを通して友人を作り、それまで存在すら知らなかった人と話すようになりました。見知らぬ人と繋がったりと、そうした人付き合いの良さは現実の生活でも同じで、スターバックスの隣席の人とよく仲良くなっていたものです」

アーノルド・スティーブンは、4人の子ども、14人の孫、20人のひ孫(2017年現在)に恵まれたセンテナリアンであり、2020年に家族に囲まれた幸せな老衰死を迎えている。しかしスピルバーグ家にも新型コロナの影がさしている。スピルバーグ一家は、2021年に告別式を行うことを望んでいるものの、新型コロナウィルス感染拡大の影響のため、延期を強いられる状況となっている。

スティーブンは、「プレイステーションや携帯電話、あるいは小さな計算機からiPadまで、見るたびに『父と天才チームが始めたんだ』と思うものです」と語る。父の仕事は、天才映画・監督スティーブン・スピルバーグの中に生きている。昨年亡くなったばかりだから、息子の才能が花開くのを十分に堪能したのだろう。幸せなセンテナリアンである。

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