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「名言との対話」7月12日。大橋巨泉「戦争は爺さんが決めて、おっさんが命令して、若者が死ぬ」
大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月22- 2016年〈平成28年〉7月12日)は、日本のタレント(テレビ番組司会者、ラジオパーソナリティ)。享年82。
東京出身。放送作家、エッセイスト、評論家(競馬評論家、音楽評論家、時事評論家)、馬主、政治家(参議院議員)、実業家・芸能プロモーター、オーケーギフトショップグループ取締役社長)と、巨泉の肩書きの多さは天下一品だ。巨泉は1950年から使っている俳号である。
麻雀、ゴルフ、競馬などを扱った「11PM」で司会者として活躍。1969年のパイロット万年筆のヒットCM「ハッパふみふみ」はユニークだった。「みじかびの きゃぷりてぃとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」。よくはわからないが、なんとなくわかるような気がするCMだった。俳句の575とジャズのリズムが結びついた傑作だった。その後、「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」などで高い視聴率でテレビ界を席巻していく。
消耗品にならないため自分でマネジメントするために、大橋巨泉事務所をつくる。原則は「映画とドラマはやらない」「一業種一種目を守る」「ナイター裏の番組は引き受けない」「週3本以上の番組はもたない」「番組の内容・構成には自ら関与する」、そして「自分の番組意外には出演しない」とうい大原則をつくる。これは20年間守られた。
「50歳でリタイヤ」のつもりだっが、ビートたけしという新しい才能と出会い、延ばす。報道と娯楽を結びつけた巨泉の造語「インフォテイメント」番組の「巨泉のこんなモノいらない?!」は自身が言う代表作となった。
56歳で念願のセミ・リタイア生活に入る。冬はオーストラリアのゴールドコースト、ニュージーランドのオークランド、春は日本、夏はカナダのバンクーバー、秋は日本。太陽を求めて温暖な気候の土地を渡り歩く「ひまわり生活」を堪能する。そのために、身軽に動けるようにパイプカットの避妊手術を行い子どもはつくらなかった。行く先の国の歴史や現状を勉強し、片言でもいいからその国の言葉をしゃべり、食事のメニューは自分で注文することにしていた。
巨泉には、「野球は巨人、司会は巨泉」、、など名言が多い。やはり俳句の影響だろう。座右の銘は岸信介総理にならって「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」であり、義理を欠くことにしていた。
大橋巨泉という人物は、以上にみるように公私ともに、何事にも原則を持ち、明快な方針で臨んでいる。
『巨泉 人生の選択』を改めて読んだ。第5章は「趣味は人を助ける」で、俳句、野球、ジャズ、釣り、将棋、麻雀、競馬、ゴルフ、ボウリング、アメフト、アンティーク、旅行、映画、読書という多趣味な姿を描いている。
・大型予算を組んで無駄な投資を続けている。気がついたときは目の回るような借金で身動きができかなくなっているだろう。
・政府の中枢にいる人たちは戦争を知らない。それが恐い。
「それは違う、おかしい、というマトモな批判さえ許さない戦前みたいな“空気”を今の日本に感じる」と警告を発していた。「戦争は爺さんが決めて、おっさんが命令して、若者が死ぬ」と言っている。慧眼の巨泉はわれわれが、心すべき言葉を残してくれた。
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