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「名言との対話」3月9日。木村庄之助(第22代)「風格あり、声良し、姿良し、形良し、人格、識見、土俵態度、うちわ(軍配)裁き、掛け声、名乗り上げ、顔触れなど、すべてにおいて抜群」

22代 木村 庄之助(にじゅうじだい きむら しょうのすけ、1890年3月1日 - 1994年4月23日)は、大相撲立行司。

栃木県鹿沼市出身。大相撲の近代名行司の第一人者で、行司史上屈指の名人。

1886年、9歳で初土俵。22歳、十両昇格。25歳、幕内昇格。32歳、三役昇格。49歳、立行司に昇格し第15代式守伊之助を襲名。1932年、55歳で第20代木村庄之助を襲名。1933年、58歳で「松翁」の名誉尊号を贈られる。晩年は大横綱双葉山の相撲を裁いている。1940年、61歳で現役のまま死去。葬儀は史上初めての大日本相撲協会葬だった。

行司の仕事とは何か。土俵入りの先導、土俵祭りの司祭、場内放送、各種重要会議の書記、巡業では先乗り親方の穂さ。所属部屋では番付の発送、冠婚葬祭の仕切りなどを行う。

立行司は直垂、烏帽子を着用。立行司と呼ばれる最高峰は、木村庄之助式守伊之助の二人。木村の房は総紫、式守は紫白。履物は白足袋、草履。装束は夏は麻薄地、冬は絹厚地。左腰に短刀、右腰に印籠。軍配は漆塗り。今は成績考課制度だが、立行司は自己責任で進退が委ねられている。進退伺いという慣例があるのはこのためだろう。

「はっきょい」という掛け声は力士が動かないときにかける言葉で「発揮揚揚」を意味している。「残った」は技をかけている場合に頑張れを意味している。

20代木村庄之助は「松翁」という名誉尊号を贈られている。行司界の「松翁」号は代々の木村庄之助中の抜群の名人にのみ許される尊称で、長い大相撲史上3人だけである。松翁の名誉尊号を許された20代木村庄之助に匹敵する名行司と称えられた、22代庄之助もこの尊称をもらう話があったのだが、最終的には流れてしまったのは惜しい。22代は「20代を「風格あり、声良し、姿良し、形良し、人格、識見、土俵態度、うちわ(軍配)裁き、掛け声、名乗り上げ、顔触れなど、すべてにおいて抜群」と評し、「この人の真似をすることが上達の近道だった」と語っている。

大相撲には、力士以外にも、呼び出し、床山、行司という仕事がある。それぞれ、独特の昇格制度や待遇があり、その道の名人がいる。今日は、行司の世界を垣間見ることができた。

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