「名言との対話」4月24日、岡本行夫「国でも企業でも、フロンティア型人間が増えなければ進歩がありません。いかにプロアクト型人間を増やすか、というのはとっても重要なことです」
岡本 行夫(おかもと ゆきお、1945年〈昭和20年〉11月23日 - 2020年〈令和2年〉4月24日)は、日本の外交評論家。享年74。
神奈川県鎌倉市、藤沢市出身。湘南高校から一橋大学経済学部を卒業し外務省に入省。北米局安全保障課長、北米第一課長などを経て1991年に退官し、「岡本アソシエイツ」を経営し、硬派の外交評論家としてメディア出演などで活動しながら、外交の現場に立った。橋本内閣の総理補佐官(沖縄問題担当)、小渕内閣の科学技術庁参与、小泉内閣の内閣官房参与、総理補佐官(イラク復興担当)、総理外交顧問、福田内閣の外交政策勉強会メンバーをつとめた。
岡本が外務省を退官したとき、JAL広報課長だった私は、外交の最前線の要職にありながらどうして辞任したのか不思議だった。今回わかったのは、デスクワークが主の管理職になって現場から離れることを嫌ったためだとわかり驚いた。また、社内でも岡本を支援する動きも知っている。
『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』(五百旗頭真ら編)では、「官僚の仕事は課長時代が一番面白い」といい、切り込み隊でなく安全プレーをしていくのは、「自分の生き様に向いているのか。自分は燃えないのではないか」と対談で語っている。官僚に限らず、組織での仕事も一番面白いのは、課長クラスの時だ。私の場合を思い返すと、九大探検部のキャプテン時代、JALの広報課長、経営企画担当次長時代、多摩大学の学部長時代がもっとも燃えた時代だった。現場の最前線の指揮官の醍醐味を忘れることはできない。この点は岡本の生き様に大いに共感する。
民間人として自由に課題解決に愛国者として奔走する姿は、日本側だけでなく、アメリカ側からも「日米同盟の擁護者」「日米関係の巨人」と評価されている。
死後の2021年に刊行された『日本にとって最大の危機とは?』と題した講演録を読んでみた。以下、岡本行夫の言葉を拾った。
国際社会で大事なことは、常に、反射的に、相手の立場に身を置くこと。
案の段階から関与した人が、自分で担いで走らなければいけない
日本人の国際化のために学ばなければならないと思うのは、課題設定能力です。白地のキャンパスに自生んで最初から絵を描くような構想力、設定力が世界へ打って出ていくために必要な能力だと思います。
課題設定能力は、質問を積み重ねて自分が物事を相対化し、その事象を深掘りして初めてできるものです。
プロアクト型の人間は自分も環境の一部だとして考える、つまり自分が動けば環境も動く、上司の命令を待たず自分で自分の仕事を探しに行く。常にフロンティアを求め動く。、、、国でも企業でも、フロンティア型人間が増えなければ進歩がありません。いかにプロアクト型人間を増やすか、というのはとっても重要なことです。
相手の動きに反応するリアクションするリアクト型ではなく、常にフロンティアに立つプロアクト型人間が、岡本行夫の生き方だった。
岡本は2020年4月24日に新型コロナで亡くなった。享年は74であった。岡本は自叙伝を執筆中だった。「父母たちの戦争」「日本人とアメリカ人」「敗者と勝者の同盟」「日本の失敗とアメリカの傲慢」「イラク戦争」「難しき隣人たち」「漸進国家・日本が辿る道」という構成であった。亡くなった時点では未完だが、出版の予定となっているとのことである。
受け身の状況対応をするリアクト型の人間ばかりではなく、能動的に状況を創造せんとするプロアクト型の人間を養成することが重要だという岡本行夫の指摘には大いに賛成だ。与えられた仕事に従事するのではなく、自らフロンティアに立ち、組織や集団の本質的な課題を設定し、その課題解決のために走り回る。既成概念を打ち破る。それが本当の仕事というものなのだ。