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「名言との対話」8 月14日。五島慶太「ものごとはすべて大きく考えること。おじけづいていては成功しない」

五島 慶太(ごとう けいた 旧姓・小林、1882年明治15年〉4月18日 - 1959年昭和34年〉8月14日)は、日本官僚実業家

長野県出身の五島慶太(1882年−1959年)は、日本の経営者。東京急行電鉄(東急)の事実上の創業者。東京高等師範学校、東京帝国大学法学部を卒業後、農商務省と鉄道院で約9年間官僚として活動。その後退官し、武蔵電気鉄道専務、目黒蒲田電鉄専務、東京高速鉄道常務などを経たのち、東京横浜電鉄目黒蒲田電鉄の社長となって実質的な経営権を獲得し、2社を合併し東京急行電鉄を発足させた。

『飛竜の如くー小説・五島慶太』(光文社文庫)を読んだ。五島は東京高等師範学校入学試験に合格。当時の中学、商業、工業学校の教師となれば、その社会的な 立場 は現代と比較しようもなかったが、元来、慶太の志は、実業界にあり、一介の田舎教師で生涯を終えようなどと、毛頭考えてもいなかった。「志を失ったら、男子とはいえない」という慶太は、政治家の原敬と実業家の雨宮敬次郎を尊敬していた。二人には志があった。
第一高等学校卒業検定試験に合格。東京帝国大学本科に転入学。法科政治科に在籍する。高等文官試験に合格し、農商務省に入省。結婚した妻の久米家の祖母方の実家、絶家になっていた五島家の姓を再興。 慶太は五島と改姓している。加藤高明から「俺が話をつけてやるから、鉄道院に転じてみたまえ」といわれ転じた。

強引な事業手法から「強盗慶太」と呼ばれた。しかし慶太にすれば買収、合併は、経営者の慣いだと考えているのだけれども、世間はそうは見ずに、五島の姓をもじって、 「強盗慶太」と呼んだ。「合併されて生き残れたほうが、社員もよかろう」。 少なくとも路頭に迷うことはないからだ。「従業員を路頭にまよわせる事態に、直結いたしかねない。倒産、破綻するまで、自分たちが経営の責めに任じるなどは、そのほうが悪である」との考えであった。いくつかの敗退のエピソードもあるが、負けっぷり、引き際もよかった。 五島慶太堤康次郎は、東急対西武戦争(箱根山戦争・伊豆戦争)でライバルだった。「そもそも五島という奴は、人が苦心してつくりあげたものを、強引に乗っ取るのを愉快だと思っている」と批判。康次郎は「 ピストル堤」の異名を持つやり手経済人だった。「強盗慶太」と「ピストル堤」の戦いであった。

五島は鉄道事業で優れた経営を行い同社を急成長させた。10歳年長の小林一三との出会いも大きかった。小林は五島の資質を見抜いた。「実業界なら奮励努力することで、その成果を楽しむことができる」。どうしようもないぼろ会社、武蔵電気鉄道の常務に転じることになった。経営内容が「火ノ車」であり、悪戦苦闘しながら経営を立て直していく。
その後、小林一三からの「田園都市株式会社にきてもらいたい」との申し出に応じた。関東大震災の直撃は慶太に幸いした。慶太は政財界人、高級官僚の間を走りまわり、現在の大田区田園調布の一帯を、一区画三百坪以上の条件で売り歩いた。「人間の 合縁奇縁 ほど奇妙なものはない」。

東横電鉄は小田急電鉄、京浜電鉄を合併、資本増強し、東京急行電鉄と商号を変更した。 結果、「強盗」の悪名は、決定的なものになった。東急が発展し首都圏の鉄道を合併したあと、分割することになった。「旧京王単独では非常に規模が小さいから、独立させても大変だろう。旧帝都と一緒にして、井の頭を線をつけよう」。今日の京王線の姿は五島の采配であったのだ。

官吏、実業家、政治家という仕事についてはこう語っている。

  • 「官吏というやつは、人生の盛期を役所で懸命に働いても、ようやく完成の域には仕事をはなれなければならない」

  • 「金儲けは易しいが、経営とは違う。世のためになって利益を上げるのが経営。だから経営は難しい。」

  • 「若いころから自分の心にかなった事業を興してこれを育て上げ、年老いてその成果を楽しむことのできる実業界に比較すれば、いかにもつまらないものだ。」

  • 「政治家なんぞ、碌なものではないぞ。いざとなったら、薄情な奴ばかりだ」

五島慶太が集めた美術品を展示する五島美術館がある。2105年に開館55周年特別展を見にいったことがある。1960年に開館ということは五島がなくなった翌年だから、亡くなる前から十分な準備をしていたのだろう。官吏の生活を経験し否定し、実業の分野に進んだ五島の果実の一つが美術館だったのである。

「ものごとはすべて大きく考えること。おじけづいていては成功しない」は賛同したい名言である。 「できるかできないか、やってみなければわからんではないか。いや、できなくても、やらねばならん」という「百万人といえでも我ゆかん」の精神にも感銘を受ける。

小さく、細かく、慎重に企画を練ってはいけない、ということを五島は語っているのだと思う。賛成だ。最初は無知でいいのだ。大きく発想し、大胆に歩もう。

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