「名言との対話」 6月22日。伊藤伝三「世のため人のためというとキザに聞こえるが、欲を離れてこそ成功は生まれる」
伊藤 傳三 (いとう でんぞう、1908年(明治41年)11月19日 - 1981年(昭和56年)6月22日)は実業家。
日本のハム、ソーセージ業界近代化の功労者で、一代で食肉加工メーカーのトップに育て上げた。現在の伊藤ハム株式会社の創業者である。
三重県四日市市出身。15歳で父を亡くし、海産物問屋に丁稚奉公で住み込みを始める。20歳で大阪に伊藤食品工業を設立し、海産物加工の販売から始めるが、1929年の世界恐慌の影響で会社が倒産する。
研究熱心な伊藤は、デパートの食品売り場で食品の材料や加工について調べ歩き、自分が一旗あげられるのは可能性があるのは、ハム・ソーセージだと気づく。 「こんなうまいものが売れないはずはない」し、家内工業ばかりの業界なら「本気で取り組めばものになるかもしれない」と考えた。
2年後、神戸でハム・ソーセージの食肉加工業を開始。魚肉ソーセージから販売し、低価格と風味の良さが評判を得るが、衛生に関する技術的な問題があり、2度目の挫折を味わう。「返品やできそこないのソーセージをリヤカーにうず高く積んで、真夜中に葦合区の生田川じりへ20貫、30貫と捨てた。運びながらこらえきれなくなって涙がポロポロ出た。」と後に伊藤は語っている。
その後、働きながら県の衛生試験所や図書館にせっせと足を運び、職員衛生の知識を身につける。ハム・ソーセージの温度管理や塩漬け技術も学習した。「同業者でできないもの、創作的なものを工夫しなければいけない」と創業の策を練る。そして大量に放棄されていたセロハンを利用することで衛生的、かつ低コストでソーセージを販売することを発案し、セロファンウインナーを製造販売する。セロハンは細菌を通さず衛生的で長期保存でき、容易に手で裂けるのでファンが多く、酒のつまみとしても需要も多かった。
戦後の棒型のポールウインナーは私も子ども頃、よく食べた記憶がある。また豚肉に、兎肉、仔牛肉、山羊肉、馬肉などを混ぜて作った、ハムとソーセージの中間的な製品であるプレスハムの製造法を開発し商品化し、価格を三分の一に抑えることができた。
後にマトンの大衆化を実現した功績でニュージーランド国政府から民間最高名誉勲章(ONZ)を受章している。1980年の勲二等瑞宝章を受章しことを機に食肉および食肉加工に関する基礎的かつ広汎な研究とその助長のための財団である伊藤記念財団を設立している。
伊藤伝三の足跡を追うと、資金の不足をアイデアで補ったことがわかる。自分の親しんでいる業界を舞台とし、つねに目的のために、熱心に観察、研究する姿が目に浮かんでくる。自身の欲ではなく、日本人の食生活を変えようとする一貫した志が、幾度も襲った危機を克服する原動力となったのである。