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「名言との対話」9月30日。東山千栄子「桜の園」

東山 千栄子(ひがしやま ちえこ旧字体:千榮子、1890年9月30日 - 1980年5月8日)は、日本女優。享年89。

千葉市出身。生家は佐倉藩城代家老の家柄。養女となり東京に転居。1909年輸入業の河野通久と結婚しモスクワに住む。モスクワ芸術座の「桜の園」の魅力にとりつかれる。1917年のロシア革命で帰国し、夫は戻ったが、千栄子はそのまま日本にとどまった。

1925年、35歳で築地小劇場の第2期研究生として入団する。初舞台、初主演、初ヒットを経て、1927年に「桜の園」のラネーフスカヤ夫人役で評判をとり、1963年まで約310回演じた代表作となった。

1944年、俳優座結成に参加し、中核として多くの舞台を踏んだ。1952年には「桜の園」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。

映画にも多く出演した。木下恵介監督の作品には監督の出ニュー作「花咲く港」以来、13本に出演した。小津安二郎監督「東京物語」の老いた母親役は映画における代表作となった。1969年以降は、テレビが主体となり女優を続けている。1956年、女優初の紫綬褒章。1966年、文化功労者。この人も遅咲きといえる。

この人の生涯をながめて、代表作というものを考えた。「舞台」という分野の代表作はロシアのチェーホフ桜の園」の舞台である。モスクワ滞在時の20代に舞台をみて感激し、35歳で女優の道に入り、自身が女優として演じ続け、それで60代になって、芸術選奨文部大臣賞をもらうということの、幸運と凄みである、一筋の道を歩んでいる。初恋の人と結ばれ、添い遂げるという感じに近いのではないだろうか。

「映画」の分野では、小津安二郎監督の「東京物語」で笠智衆との老夫婦役であろう。原節子の人気とあいまって、名画といわれる。その義母の役は評価が高く、私の目にも焼ついている。違う分野で代表作をひとつづつ持っているのだ。

「テレビ」の時代になっても、東山千栄子は歩みをとめない。1976年、86歳の時に黒柳徹子の「徹子の部屋」のユーチューブの映像をみた。黒柳によれば、日本いや世界でも最年長の女優だと語っていた。89歳で亡くなっている。

宮城大学時代に、柳田邦男さんを講演会にお呼びしてじっくりと話を聞いたことある。このときのテーマは「いのち」であり、「人生における代表作」を意識せよというメッセージが頭に残っている。

20代で外国でみた舞台に魅せられて、自分が演じる側にまわり、60代まで演じる。そしてその延長線上に、時代の変遷に応じて、映画、テレビと歩みを進めた人である。

東山千栄子の言葉は、見出せなかったが、ライフワークともいうべき「桜の園」を採ってみることにした。


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