見出し画像

「名言との対話」12月6日。辰濃和男「 円が大きければ大きいほど、穴も深くなります」

辰濃 和男(たつの かずお、1930年1月1日 - 2017年12月6日)は、朝日新聞記者出身のジャーナリスト、エッセイスト。享年87。

東京生まれ。1953年東京商科大学一橋大学)卒業。大学では、加藤秀俊社会学者)と語学のクラスの同級生だった。大学卒業後朝日新聞社入社。ニューヨーク特派員、社会部次長、編集委員論説委員、編集局顧問を歴任。この間1975年から1988年まで「天声人語」を担当。1993年退社。1994年朝日カルチャーセンター社長。日本エッセイスト・クラブ理事長も務めた。

辰濃は、名著『文章の書き方』の「まえがき」で、いい文章を書くということは、日常の暮らしのありようと深いつながりがある。己自身の心の営みをさらけ出すことになるとその文章観を語っている。つまり文章読本は、人生読本につながるという。私も偉い人たちの人物論を毎日書いていて、こちらの人生観や心の営みを問われている感じがする。

この本の特徴は、第1章は「素材の発見」として「広場無欲感」、第2章は「文章の基本」として「平均遊具品」、第3章は「表現の工夫」として「整正新選流」と奇抜な編集をしているところだろう。それぞれの項目で高名な名文家のジャーナリストたちの文章論や文章そのものをとりあげてくれている。池波正太郎向田邦子沢村貞子森本哲郎沢木耕太郎中谷宇吉郎、里見弴、本多勝一中野重治笠信太郎吉行淳之介丸谷才一幸田文谷崎潤一郎、勝小吉、江國滋井伏鱒二、、、、、。彼らの文章論や文章そのもののポイントを抜き出してくれているからありがたい。

この『文章の書き方』は、福沢諭吉から始まり、福沢諭吉で終わると総括してもよい。福沢の書いた文章を大量に何度も読んだ結果、平明で、身の丈に合った言葉を用い、絵画的表現がうまく、比喩の巧みさが際立っているという。

「漢字は3割程度を一応の目安」としているという。私の場合はどうだろう。やや漢字が多いかもしれないので、この点は参考にしたい。

色名事典、中村祥二『香りの世界をのぞいてみよう』」、『福沢諭吉の開口笑話』なども手元に置いて置きたい。

この本の最後の方に「平凡から非凡になるのは、努力さえすればある程度のところまで行けるが、それから再び平凡にもどるのが、むつかしい」という言葉が紹介されていて、感銘を受けた。

辰野和男『四国遍路』(岩波新書)を読んだ。歩き遍路は1400キロを40日前後で回る人が多い。筆者は6回に分けて歩く。歩いたのは71日。68歳から70歳になる直前までで長い間の宿願を達成した。この遍路は、区切りうち歩き遍路という分類に入るとのことだ。四国遍路の日々を達意の文章で綴っていく。

  • お四国病院:元気になる。

  • 四国大学:人生修行の場。年齢性別職業宗派学業成績国籍不問無試験。

  • 四国遍路の円環は平面ではなく、螺旋状。霊場から霊場までを、よりましにしたいと願い螺旋の道を歩く。人は生から死までを一直線に生きるのではなく、螺旋状の回りで生きる。一回りを1月、1年、10年と考える。人生を繰り返す、やり直すことができる。修行して螺旋状に円環を登っていく。修行を怠れば下がっていく。

  • へんろ道は芸術品。何十万、何百万の人々が造りあげた共同制作品。

  • 「生きている死者」として歩く。白衣に杖という死装束。しかし、日常生活において実は「死者のように生きている」だけではないか。

  • 六根清浄。眼、耳、鼻、舌、身、意。こころを洗うのが難しい。

巡礼、遍路に関する本を紹介してくれている。高群逸枝「巡礼の旅」(「火の国の女の日記」)。前田卓「巡礼の社会学」(ミネルヴァ書房)。添田あぜん坊「遍路記」。五来重「遊行と巡礼」(角川選書)など。

70歳で書いた『歩けば、風の色』を読んだ。志を持って仕事をしている全国の人々を紹介した本である。辰濃は人と言葉の収集家だ。「人の土台作りに参加している責任」「海や太陽に恥ずかしい生き方をしたくない」「私の通った後を前より少しだけきれいにできたらいいなと思う」「必ず一定の数を残すのが原則だった」「踊っている最中、ずうっと海とか山とか、大自然のイメージをもつ」「大切なのは、親が子どもになることだ」「百年後、二百年後」「大切なのは「まじめ作なんだ」「下塗りがいのちだ」「老人は何か一つ、夢中になれるものを持ったほうがいい」「音の詩を創ってゆきたい」、、、。紹介されているナチュラリストたちの名言の宝庫だ。

白樺、水楢、朴(ほお)、蔓蟻通(つるありどおし)、鋸草、靭草、山母子、峰薄雪草、科木(しなのき)、蝦夷紫陽花、藪椿、椎、隠れ蓑、白山木、武蔵鐙、常盤木、神籬(ひもろぎ)、木五部子(きぶし)、菫(すみれ)、七竈(ななかまど)、岳樺(だけかんば)小峰楓、裏白樫、栃、楓、羊歯、竜胆(りんどう)、岩桔梗、蝦夷金梅草、鬼胡桃、赤四手、山杜鵑草(やまほととぎす)、曼殊沙華、富士薊(ふじあざみ)、針樅。卯木、花筏、木通(あけび)、西洋踊り子草、、、、。本の中で何気なく紹介している花や木々の漢字の名前には感動する。こういうことを知っているというのは何と豊かだろうか。

圏央道は、高尾の山を巨大な太い槍で貫く」という言葉には心を揺さぶられた。高尾山を貫く圏央道への反対運動は知っていたが、辰濃も関わっていたのである。私はゴルフに行くときなどに高尾山の腹に刺さった太い槍の中を車で走るという恩恵を受けているのだ。この本を読んでやや心苦しく思った。

「この世を救う妙薬、こころを柔らかくする妙薬があるとすれば、その筆頭は歩くことだ」。歩くことによって、 自然の細部にほどこされた造花の神の営みに驚くこころをよみがえらせることができる。硬くなったこころを柔らかくするために、速足で歩くのではなく、余裕をもって、自然を楽しみながら歩きたい。

2014年には、NPO法人知的生産の技術研究会の総会の後の懇親会に辰濃先生もみえた。浦和高校サッカー部でJリーグを立ち上げた川渕三郎氏と同期だったそうだ。足には自身があると語っていた。そしてどこでも呼ばれれば一升壜をもってかけつけるととおっしゃっていた。先生も交えて談論風発のいい会となった。あれから3年後に亡くなったのだ。

さて、『文章の書き方』で特に大事なところは、第1章の「広い円」だ。「円が大きければ大きいほど、穴も深くなります」「広い円を描いて準備をすれば、内容の深いものが生まれます」、と広い視野で学ぶことをすすめているところだ。その方法として日記を書くことをすすめる。「たのしんで書けるようになればしめたものです」。

福沢諭吉は緒方塾の若い時代は、せせこましい目的に沿って本を読まずに、ひたすら学んだ。それが深い思想になっていくという見立てだ。そして優れた文章の書き写しをやりなさいとすすめている辰濃の場合は、愛用したルーズリーフ形式のノートに書きうつしたノートとなる。

私はブログ日誌と人物の名言を続けて、日々の読書のエキスや人物の名言などを意識して抜き出している。とりあえずまとめておく、後に「同似・異反」を組み合わせて自分独自の文章を書いていくというやり方が定着している。自分のテーマだけでなく、自分が目にした情報を書き留めるという広い円を毎日掘り続けているから、時間がたつにつれてしだいに穴が深くなりつつあるような気がしている。






いいなと思ったら応援しよう!