「名言との対話」10月20日。杉山寧「一字題」
杉山 寧(すぎやま やすし、1909年10月20日 - 1993年10月20日)は、日本画家。生没同日。
東京都台東区出身。東京美術学校に入学。松岡映丘に師事。卒業後は結城素明に師事。ベルリン大学に留学。23歳で最年少で「磯」で特選、25歳で「海女」で二度目の特選を受賞するなど、若い時代から80代まで50年にわたって絵を追求している。途中、肺結核で長く活動を停止する。
1947年、日展特選。1950年、日展審査員。1958年、日展評議員。1974年、日展理事長。文化功労者、文化勲章。
2013年。日本橋高島屋で開催中の「杉山寧」展をみた。日本画家・杉山寧は生涯にわたり、新しいテーマを追いかけた画家だ。日本の風景、牛に裸婦が腰かけた「エウロペ」、孔雀、エジプトの神像、トルコ・マケドニアのカッパドキア高原、九州の装飾古墳、花鳥風月、、、と対象は変わるが、綿密な観察と迷いのない実力のある筆致は変わらない。
「素描力と構成力」の双方に優れているという評価があるが、確かに部分を的確に描写する力と空間全体を把握し再構成する力、そして色彩感覚も素晴らしい。
絵のタイトルは、ある時期から一字の漢字を使うようになる。暦、花。皇。麗。瞳。響。晶。など書ける文字もあるが、ほとんどは書くことができないが風韻のある漢字だ。大冊「朝陽字鑑精粋」を繰りながら題名を考えていた。絵と字が一体となって訴えかけてくる。そういう効果を感じる。
代表作は「野」(1933年の大学の卒業習作で首席を獲得)。「穹」(1964年。スフィンクス)「洸」(1992年。ポーラ美術館)
この画家は、安井曾太郎画伯の後を継いで、1956年から1986年まで『文芸春秋』の表紙絵を描いている。30年以上になる。総数は369点だ。文春のあの独特の絵は杉山寧の絵だったのだ。月によって制作法を変えたり、造形性を前面に出したりするなど、一点一点を完成画とした。この仕事以降、制作は大きく展開している。この人は半端な仕事をしない人だ。全力投球の中から何かをつかんでいく。従来の日本画には「内側から張り出てくる」充実感のある人体・裸婦が描かれていない、と杉山は言う。それは生命力のことだろう。三島由紀夫と写っている写真があった。長女・瑤子は作家・三島由紀夫の妻だった。2012年に訪問したことのある山中湖の三島由紀夫文学館に遺品を寄付したのは杉山の娘だったのだ。2013年に訪問した箱根富士屋ホテルのホテルミュージアムには三島夫妻が新婚旅行で泊まったときの写真などをみた。
2013年にポーラ美術館を訪問した。杉山寧の作品は、この美術館の日本画コレクション160点のうち43点を数える。「絵画だけでなくては表現できないもの」を杉山は描いた。篆刻の書体字典「朝陽字鑑精粋」。「絵と文字の未分化の時代に人間が事物や概念を視覚化しようと努力していた様子に心を打たれた」と杉山が語っている。杉山は「一字題」といいう漢字一字のタイトル(音読)をつけるようになった。「響きや形を感じて欲しい」という。水。英。守。沙。睡。薫。舞。究。書き表せない字も多いが、絵と相俟って独特の味が出ていた。
この画家の言葉としては、絵と文字は一体だったという視点からの「一字題」を採ることにした。観る人は、題と絵を一体として鑑賞することになる。独特の絵画観であるが、現実に作品をみると一つの世界が現出する。