「名言との対話」12月30日。渡辺和子「置かれた場所で咲きなさい」
渡辺 和子(わたなべ かずこ、1927年2月11日 - 2016年12月30日[)は、キリスト教カトリック修道女 (修道女名:シスター・セント・ジョン)。享年89。
北海道旭川市出身。1936年、9歳の時にニ・ニ六事件で、教育総監だった大将の父・渡辺錠太郎が青年将校から44発の銃弾を撃ち込まれのを、わずか1㎡の距離で目撃するという痛烈な体験をする。
18歳でキリスト教の洗礼を受ける。聖心女子大に進学し学生自治会長。卒業後、上智大学西洋文化研究科の修士課程を修了。29歳、ナミュール・ノートルダム修道女会に入会。31歳、ボストンの修道院に派遣され、ボストンカレッジ大学院で教育学博士号を取得し帰国。岡山県のノートルダム清心女子大学教授に就任し、1963年に36歳の若さで学長に就任する。1984年、大学と学園の理事長。1992年から10年間、日本カトリック学校連合会理事長。
渡辺和子は2009年の講演の中で、「血の海の中で父は死にました。凄惨な死でございました」と次のように語っている。
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兵たちの怒号を聞きまして、まだ寝ておりました父が、すぐ起きまして、自分の左手にあります小さな襖を開けて、拳銃を取り出しました。覚悟していたのだろうと思います。そして私に「和子はお母様のところへ行きなさい」、これが最後の、私が父から聞いた言葉でございました。逃がしてくれたわけでございます。
私は寝ぼけ眼で、寝室と茶の間の間のふすまを開けて、台所に母の姿があるかと思って探しましたところ、母は兵士たちを中に入れない、防ぐために必死でして、私の方など見向きもしませんでした。仕方なしに父の所にまた戻ってまいりました。
その頃には流れ弾が寝間に打ち込まれておりまして、よく当たらなかったと思うんですけれども、私はそれをかいくぐってまいりましたところ、掻巻(かいまき、綿の入った袖のある寝具)を自分の身体に巻き付けて、ピストルを構えておりました。私が戻ってきたのを見て、非常に困った顔をしまして、目で、座卓の後ろに入るように示してくれました。
私もそこに隠れました。ふすまが開けられて、軽機関銃の銃身が差し込まれて、父の足を狙って撃ち始めた。私の父は陸軍でも射撃の名手だったようでございます。3発ほど撃ったと言われておりますけども、いずれにしても軽機関銃にはかないません。足を集中して撃ったらしく、片足はほとんど骨ばかりでございました。
茶の間の方から青年将校2人(高橋太郎少尉と安田優少尉)と兵士が数人入ってきて、父を射撃いたしまして、最期に銃剣で切りつけて、とどめを刺して帰っていきました。ずっと座卓の影から見ておりまして、引き上げていった後、出てまいりまして、「お父様」って呼んだんですけど、もちろん事切れておりました。あたり一面、父の肉片、骨片が飛び散っておりましたし、寝間の柱にも銃弾の跡が残っておりました。
その後、母がすぐに寝間に参りまして「和子は向こうに行きなさい」と言われてその場を離れました。午後になりまして、包帯でぐるぐる巻きになった父が布団の上に横たわっておりました。額に触ったときにとても冷たかったのを、今でも感触を覚えております。亡くなった姉によりますと、43発、弾を父の身体の中に撃ち込まれていたということでございます。
雪の上を点々と血が残っておりました。寝間の前は庭でして、雪が本当に真っ白に積もっておりましたけども、兵士が帰っていくときの返り血なのか、足か何かを狙って撃ったときの血なのか分かりませんけども、その血の赤さは今でも焼き付いております。
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2012年発刊の200万部を超えるベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』(PHP文庫)で多くの人に勇気を与えた。この本で、マザー・テレサが帰天したときには、着古したサリーとカーディガン、古びた手さげ袋とすり切れたサンダルだけだったと紹介している。
1984年にマザー・テレサが来日したおりに渡辺は通訳をつとめている。マザーの話に感動した学生たちがカルカッタにボランティアにいきたいと申し出た時、「あなたがたの「周辺のカルカッタ」で働く人になってください」と答えたというエピソードがある。確かに私たちの周辺にはさまざまの「カルカッタ」が存在している。
マザー・テレサの来日時に通訳を務めた縁で『マザー・テレサ 愛と祈りの言葉』の翻訳者となっている。
以下、心に残った言葉をピックアップ。
・コップの大きさ小ささが問題ではなくて、そのコップなりにいっぱいになっている、それが自己実現ということだと思うのです。
・実に育児とは、親の育児なのだ。
・使命という言葉は、命を使うと書きます。
・自由の本質は「選ぶ自由」である。
・自由とは、「こうありたい自分」をめざして、生き方を選んでゆく自由なのだ。
・一生の終わりに残るものは、我々が集めたものではなくて、我々が与えたものである。
・最もすばらしい力は、物事に意味を与えることのできる力ではないだろうか。
・孤独の中で人は成長していくのです。愛情を受けて人は育ちますけれども、孤独の中でも育ちます。
・「呼ばれた」がゆえに、そこに赴く、それが私たちの生活だと思っています。そして置かれたところで、「咲いていること」がたいせつなのです。
・多く与えれた人は、多く返さないといけません。
・肯(うべな)う。
・「にもかかわらず」、笑顔で生きる強さと優しさを持ちたいと思う
・励ましというのは、「私はあなたを信じている」という信頼からも生まれるものなのだ。
著書は多数あり、それらをまとめた『渡辺和子著作集』は5巻あり、それぞれ「愛」「心」「信」「道」「望」とのタイトルがついている。
聖心女子大の一期生の制服の写真が、BS「須賀敦子・静かなる魂の旅」でも紹介されている。30人ほどの同級生には緒方貞子、須賀敦子、紀平悌子らがいた。
NHK「あの人に会いたい」では、「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を生んだきっかけが紹介されていた。若く就任した学長時代に、「神が植えたところで咲きなさい。それはあきらめることではなくて、まわりの人たちを幸せにすることです」という詩を読んで目からうろこが落ちる。幸せは自分の心が決める、とわかる。発想の転換が起こったのである。
「たんぽぽの花はばらの花にはなれない。けれどもばらの花はたんぽぽににはなれない」。花は自分では動くことはできない。そこで一生懸命に咲いている。「置かれたところで咲きなさい」、その場所とは神が自分を植えたところなのだ。