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「名言との対話」10月5日。瀬長亀次郎「不屈」

瀬長 亀次郎(せなが かめじろう、1907年明治40年)6月10日 - 2001年平成13年)10月5日)は、日本政治家ジャーナリスト。享年94。

20歳、七高理科に入学、社会科学研究会に参加した。22歳、放校。。24歳、京浜地区で臨時工として働いた。日本共産党入党。25歳の時、治安維持法で検挙され懲役3年の刑を受けた。29歳、沖縄朝日新聞記者。31歳、兵役招集。33歳、復員、毎日新聞那覇支局記者。38歳、田井等市助役。39歳、うるま新報(現「琉球新報」)社長。

40歳、沖縄人民党創立、中央委員。42歳、書記長。45歳、第1回立法院議員選挙で最高点当選。47歳、米軍軍事法廷で懲役2年。49歳、出獄、那覇市長に当選。50歳、米軍の布令で那覇市長の座を11ヶ月で追放。激励の手紙5000通。52歳、沖縄人民党委員長。60歳、16回の渡航拒否を打ち破り11年ぶりに上京。61歳、屋良朝苗主席・平良良松那覇市長を誕生させる。62歳、ジョリオ・キュリー賞。

63歳、戦後初の国政参加選挙で当選。65歳、沖縄返還。70歳、日本共産党国会議員団総会会長。75歳、ヤンバルクイナを国の天然記念物に指定させる。79歳、衆議院議員7期目当選。この間、ベトナム、イタリア、ユーゴ、キューバを訪問。

83歳、衆議院議員勇退。94歳、死去。二つ年下の妻・フミも沖縄人民党市議を長くつとめた。2009年には百歳を迎えた。2010年、死去。

2016年に沖縄那覇の瀬長亀次郎「不屈館」を訪問した。資料の豊富な、そして瀬長の抜群の業績と温かい人柄がみえる優れた記念館だ。

瀬長は文章も、演説も素晴らしくうまかった。新聞記者時代もあった瀬長は、人々の心に響く原稿を書いた。色紙を頼まれると必ず「不屈」と書いていた瀬長亀治郎の人生哲学に深く納得する経歴である。記念館は「不屈館」と命名された。

1945年の敗戦後、日本軍に代わって米軍が沖縄を占拠。米軍はポツダム宣言を真面目に実施せず占領法規すら踏みにじった。人間としての価値も認められず、虫けらみたいに射ち殺され、はずかしめられ、略奪された。

瀬長には3つの星があった。母(「筵のあやのように、正直にまっすぐ生きるんだよ」と教えた)、松原先生(恩師)、沖縄人民党である。

県民を苦しめる三つのマジムン(魔物)と瀬長は言う。それは米軍と安保条約、大企業、自民党である。

「はて、おかしなこともある。平和からやってきて戦争へ行く。それも平和をつくるためにと。なぜはじめの平和にとどまっていないだろう」(瀬長が引用したドイツの寓話から)

瀬長の風貌は何か滑稽感があり漫画にしやすいらしく、よく対象にされたらしい。また写真をみると、よく笑っており、快活な行動で、親しみやすく、大衆に人気があったのはうなずける。

瀬長は次のように語っている。「こんなときはよくやすんで明日のたたかいを組むことだ。早めにねる」(日記)。「悲愴感があまり出すぎるとたたかいは長つづきしないことを学ばされました。だからたまには冗談もとびだし、ユーモラスなこともいう、いわゆる楽天的にかまえるということであります。しかも一本のスジは絶対に通していく、このことはつねに注意をはらうことにしています」。明るい楽観派の姿はまわりに勇気を与えたことだろう。

以下、瀬長亀次郎の言葉

  • 「母なる大地は何を求めているか。再び戦場にするな、沖縄を平和の島にして返せ、と叫んでいる。これが原点である。」「平和な島というのは基地も核兵器のない島をいっている」「(核査察を)外国には要求しながらなぜ自国の領土である沖縄にはできないのか。これでは政府の非核三原則も絵に書いたモチではないか」(佐藤総理への国会質問)

  • 「瀬長被告人の口を封ずることは出来るかもしれないが、しかし、しいたげられた幾万大衆の口を封ずることはできない。瀬長の耳をロウする事はできるであろう。しかし、抑圧された大衆の耳を封ずる事は不可能である。瀬長の目を潰すことは可能であろうが、しかし、不正と不義の社会の重圧をはねかえそうとして待機している大衆の眼を突き破ることは出来ない。瀬長を牢屋に叩き込むことは可能であろう。しかし、70万県民を牢屋に収容することは不可能である。

  • 「このセナガひとりが叫んだならば、50メートル先まで聞こえます。ここに集まった人々が声をそろえて叫んだならば全那覇市民まで聞こえます。沖縄の90万人人民が声をそろえて叫んだならば、太平洋の荒波をこえて、ワシントン政府を動かすことができます」

  • テロリズムとは何か。暴力をもって個人または集団の生命を脅かすものだけを言うのではない。普通の常識を逸脱し、投獄することを自由自在に行う現実をテロリズムというのである」

  • 「日本独占資本が同じように彼ら(アメリカ帝国主義)の沖縄占領支配を支えているという点については、なかなか理解されない。覆面をしてくるからわからない(笑い)。「買弁的グループが祖国復帰を妨害している敵だ」

  • 小選挙区制は、自民党が40%台の得票で80%の議席を得ようとするものであり、議会制民主主義を根底からくつがえすファッショ的な暴挙でありました」

  • 「分断して支配する」。米日支配層はさまざまな「分離返還」論を持ち込んだ。ーーー日米「地域別分離」論。「基地と施政権の分離」論。「教育権の分離」論。「核つき基地返還」論。ーーー沖縄の買弁反動派:「復帰尚早」論。「積み重ね方式」。「日米琉新時代」論。「イモ・はだし」論。

冒頭の「不屈」は、瀬長の人生を一言で表す言葉だ。瀬長らの行った「島ぐるみ」闘争は今も続いている。「再び戦場にするな、沖縄を平和の島にして返せ」と叫んだ瀬長亀次郎の目には、今の日本と沖縄の姿はどのように映っっているであろうか。

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