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「名言との対話」1月14日。広岡浅子「犠牲的精神を発揮して男子を感化する者とならねばなりません」

広岡 浅子(ひろおか あさこ、旧字:廣岡淺子。1849年10月18日嘉永2年9月3日) - 1919年大正8年)1月14日)は、日本の実業家、教育者、社会運動家

豪商三井家の四女で、17歳のとき大阪の広岡信五郎と結婚。維新後は実業界に入り、炭鉱経営や銀行設立などに携わった。日本女子大学校(現日本女子大学)設立など、女子教育の推進や婦人運動にも尽力した。

日本女子大成瀬記念館で買った「広岡浅子関連資料目録」を読んだ。NHK朝の連続ドラマの主人公・広岡浅子の講演録が納められており、興味深く読んだ。「なぜ老年になっても元気なのか」という問いに、「無限の希望」があるからだと答えて、少女時代から老年に至るまでの「希望」を語っている。彼女の一生がわかる。

少年時代「我日本の旧習を脱し暇あれば男子と共に素読して、必ず女子の頭脳は開拓せらるべしとの希望を以って、大に力を養ふ事に努めたり」

青年時代「広岡家は大阪の富豪なれば、其主人は少しも自家の商業に関せず、万事支配人政治にて、日毎、謡曲茶の湯等の遊興を自己の業の如く思慮しつつあるが如し。之を見て余は斯くの如き有様にて永久に家業繁盛の継続するや否やの疑問を生ぜり。故に一朝事あれば己れ自ら起たざる可からずと意を決し、其準備に努めたり。そは簿記法、算術、其他商業上に関する書籍を、眠りの時間を割きて夜毎に独学し、之れに熟達せん事を我が希望とせり。」

壮年時代「断然意を決し日本女子大学校発起者に加名するの栄誉を担へり。、、、将来の希望に向って尽力するをこよなき愉快なる事となしたりき。」

老年時代「我希望の果されん日は前途尚遼遠なるを覚ゆ。然れども死生の別を考慮する暇あらず。今尚無限の希望に充ちて、百年の計画を行ふ之れ余が老いぜざる大なる原因ならずんばあらず。」

日本女子大の学生たちへの講演録から。「犠牲的精神を発揮して男子を感化する者とならねばなりません。」「人格修養の最も簡単な一方法は、一挙手一投足も無意味にしないと云う事であらうと思います。」「男子を感化し、男子の力を悉く有益高尚なる目的の為に、捧げさせる事が出来るのであります。」

広岡浅子の主張は、女性自らが主人公になることもいいが、家庭を持っても日本婦人は男子を日常的に感化し、無駄なことをやめさせ、社会のために働くように仕向けることである。広岡浅子は1919年1月に逝去しているのだが、10歳ほど年下の日本女子大創設の成瀬仁蔵もその3月に60歳で卒している。ほぼ同時に亡くなるのは偶然であろうが、近代を切り拓いた二人の志は次世代に引き継がれていく。

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