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「名言との対話」7月31日。サトウサンペイ「あいつが悪いと、人を責める。だから、絶えず祈りというものが必要なんだ」

サトウ サンペイ(本名:佐藤 幸一(さとう ゆきかず、1929年9月11日- 2021年7月31日)は、日本漫画家

「平凡なサラリーマンの生活」を描き、「サラリーマン漫画」の創始者と評されるほか、紀行文やエッセイの執筆もおこなった。

名古屋出身。旧制京都工業専門学校(現在の京都工芸繊維大学)に入学。卒業生の大丸宣伝部長に紹介されるがその先輩が履歴書を紛失し、頼み込んで受験。面白半分で新たな履歴書としてペンで漫画を描いて提出して合格する。「この履歴書が、正真正銘、ぼくの漫画の処女作なのである」。

入社した直後に、夕刊新大阪新聞の小谷正一編集局長に紹介される。そして週に一回の漫画を描くことになった。昔、岡本一平という偉い漫画家がいた。朝日新聞の漫画で超売れっ子だった人で、妻は小説家の岡本かの子、息子は岡本太郎だ。「じゃあ、ぼくは三平ぐらいですかね」と、サトウサンペイペンネームになった。

1957年に大丸を退社し漫画家専業となった。1965年から朝日新聞夕刊で4コマ漫画「フジ三太郎」の連載を始め、1991年まで26年の長期連載となった。サラリーマン時代は遅刻の常習犯であだ名は「遅刻マン」だったが、そういった平凡なサラリーマンの哀歓を描いた作品は読者の支持があった。サトウサンペイは「サラリーマン漫画」の創始者となった。

1968年から「週刊朝日」にカラー漫画「夕日くん」の連載を始めたとき、「暮らしの手帳」の花森安治編集長から「おもしろい!その調子、その調子。これがほんとうの漫画だ!」との手紙が届く。絵に短い文をつけた戯評を書くことをすすめられ、「暮らしの手帳」に長い文を添えた漫画を連載した。その抜粋、加筆したのが、サトウサンペイ『見たり、描いたり』(朝日新聞社)であり、今回それを読み込んだ。

「白無垢鉄火」といわれた名プロデューサーだった小谷正一との交流が描かれている。小谷の口癖は「君、そいつは後世に残るぜ」と才能をほめた。「PRはラブ・ミー。広告はバイ・ミーだ」「日本でもっとも素晴らしいプロデューサーは、安芸の宮島に鳥居を立てたやつだよ」「一人で科学と法律を学んで、水の上を歩けることかな」、、、。

小谷には太い釘を一本さされていた。「三太郎には似合うのはせいぜい自転車だね」「世界一周旅行と頼め」、、。漫画家は風刺やカラクリが必要だから在野精神でいこうと思うようになっている。小谷は人を育てる人だった。

この本には「私が信仰しているところの宗教」という言葉が何度も出てくる。調べたら、金光教だった。日本には13の神道教派があるが、出雲大社教に次ぐ43万人が信仰している。5歳のときに母に連れられて教会にいったのが契機となった。「天は父、地は母である。天と地との間に人間がいる」と経典にあるそうだ。金光教には文化人が多い。歌舞伎役者の他には、伊藤昌哉(池田勇人総理秘書官)、小川洋子(作家)らの名がをみえる。他の宗教を否定しないという宗教だ。

「あいつが悪いと、人を責める。だから、絶えず祈りというものが必要なんだ」は、金光教の教えや、「荘子」の「道(タオ)、金光教に理解のあった道教研究者の福永健司らの学びからきているように思う。サトウサンペイにはいい出会いが多い。それは彼の信仰にも関わっているように感じる。信仰を持っている人はいいなあ。


見たり、描いたり

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