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「名言との対話」5月3日。中坊公平「世の中で一番大切なもの、人間にとって最も大切なもの、それは『思い出』ではないか」

中坊 公平(なかぼう こうへい、1929年8月2日 - 2013年5月3日)は、日本の弁護士(大阪弁護士会)。日弁連会長。新しい日本をつくる国民会議21世紀臨調)特別顧問。

京都市出身。京都大学法学部卒。24歳で司法試験に合格。1970年、40歳で大阪弁護士会副会長に就任。

1973年、森永ヒ素ミルク中毒事件や豊田商事の被害者救済に弁護団長、破産管財人として尽力し、日本弁護士連合会会長や整理回収機構の初代社長をつとめた。1999年に設置された司法制度改革審議会において委員として参加し、法科大学院裁判員制度の導入に尽力した戦後日本を代表する弁護士であり、「平成の鬼平」とマスコミ各社に名付けられた。実在の人物であり悪を懲らしめる「鬼平」と呼ばれた火付盗賊改方長官・長谷川平蔵を主人公とする池波正太郎の捕物帳『鬼平犯科帳』に因んだ言い方である。

NHK「ETV特集」では1997年に4夜連続で「弁護士・中坊公平」を放映している。「森永ヒ素ミルク事件ーーすべては現場から始まる」。「豊田通商事件ーー悪とは何か」。「豊島産業廃棄物不法投棄事件ー悲惨な勝利でも良し」。「史上最大の不良債権回収ーー理念を持って闘え」。

中坊は、100人以上が死亡し、1万人を超える乳児が中毒となった大惨事となった森永ヒ素ミルク事件の弁護団長になることをためらっていたが、父親から「赤ちゃんに一体何の罪があるんだ! そんな情けない息子に育てた覚えはない」と一喝されて目覚めた。父親は小学校の先生から弁護士になった人で、息子に「公平」という名前をつけたのだ。

戦後最大の詐欺商法と呼ばれた豊田通商事件の破産管財人。高齢者から2000億円を集めて破産した事件。暴力団を使った妨害工の中、100億円を回収した。

豊島産業廃棄物不法投棄事件。有害物質の投機で土壌や地下水が汚染された事件。この裁判で不法投棄物問題が国家の最優先問題となった。

住宅金融専門会社というノンバンクがバブル経済の時期に抱えた6兆5000億円の不良債権の処理を巡り、政府が6850億円を支出し、債権回収の為に住宅金融債権管理機構が設立された。その初代社長が中坊公平である。

この特集シリーズの反響は大きく、拓銀、山一などの金融機関の破綻が続出したこともあり、新たにインタビューが行われた。その映像を見た。住専問題で70兆円を超える不良債権処理にあたり、銀行に30兆円を投入して日本経済の危機を救った案件について語っている。

「すべては現場から始まる」という中坊の信念が披露されている。神尾書類を見るだけでなく、生身の身体の持つ五感をフル動員して、本質に迫ることができるのが現場である。日本のゆがみを象徴する大事件に取り組んできた中坊の言葉は説得力がある。

以下、中坊公平の言葉。「 私は太陽電池で動いており、妻が私のお日さんなのだ。」(いい家庭をつくることは男子一生の事業である)

「いろいろな仕事の条件や内容を調べて、自分に適合する仕事を探そうとすること自体が、私は違うだろうと思っています。それよりも、いかに自分の能力を上げるか。現場へ行って本質をどのようにして発見できるか。その力を自分のものにする技を磨くことがもっと重要なのですね。」(就職は、現場での修行と思え。場所はどこでもいいということだ)         

「少なくとも三つ(牧師・医者・弁護士)の職業はですね、人の不幸を金に変えてはならないというのが厳然たる倫理だと思うんですね」(やはり、鬼平と呼ばれるだけのことはある)

濡れたタオルを絞って出てきた水と、乾いたタオルを絞って出てきた水とでは、その値打ちが全く違う。(正義への執念)

常識で曇ったガラスを手で拭き払え。(現場主義)

弁護士という枠を超えた行動力の持ち主だった日本弁護士連合会会長の中坊公平は「平成の鬼平」とマスコミからあだ名をつけられている。池波正太郎の「鬼平」からとった異名である。池波正太郎には、実在の人物である江戸時代の火付盗賊改方の責任者の長谷川平蔵を主人公とした『鬼平犯科帳』というロングセラーがある。

検事の河井信太郎には、特捜の鬼、検察の鬼、鬼検事などの異名には必ず「鬼」がついている。現代の火付盗賊改方である検事たちは自分たちを長谷川平蔵に擬して仕事に励んだのだろう。

裁判官の原田國男も、池波正太郎鬼平犯科帳』と映画の山田洋次男はつらいよ』シリーズをすすめている。司法の立役者である、弁護士、裁判官、検事には「鬼」が多い。

亡くなったとき、日本経済新聞は「弁護士に求められる理念を体現しながら、抜群の行動力で弁護士の枠を超えた活動を続けた。晩年は刑事告発を受けて弁護士バッジを外すことになり、無念さを残した」と書いた。不適切な回収告発に刑事告発を受けて引退を余儀なくされたのである。

冒頭の「思い出」とは、「家族と過ごした楽しい思い出。必死になって仕事に打ち込んだ思い出。心を分かち合った友人との思い出。そんな多くの思い出こそが人が生きてきた証であり、最後にやすらかな幸福感をもたらしてくれる」と本人が解説している。中坊公平はこころやさしき人であることがわかる。やはり「平成の鬼平」にふさわしい。


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