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「名言との対話」10月30日。藤本義一「一日に十枚だけ原稿用紙に書こう。、、そして、五十ページ、本を読んでやろう」
藤本 義一(ふじもと ぎいち、1933年(昭和8年)1月26日 - 2012年(平成24年)10月30日)は、日本の小説家、放送作家。
大阪府堺市出身。いくつかの大学への入学と退学を繰り返し、28歳で大阪府立大学経済学部を卒業。在学中からラジオドラマの脚本を書き、1957年には芸術祭文部大臣賞戯曲賞を受賞してる。この時の次点は井上ひさしだった。「東の井上ひさし、西の藤本義一」と言われていた。
大学卒業後、映画では川島雄三監督に師事し脚本の仕事をする。師匠は川島監督であった。その後もテレビやラジオの脚本を多く手掛けている。
藤本の名前が有名になり、白髪をいただいた顔が売れたのは1965年から始まった日本テレビ系列の「11PM]司会者となってからだ。週2回の出演を25年にわたって続け、軽妙な語り口で人気を博した。私もこの番組を見ていたのでよく知っている。
1968年からは長編小説に取り組み、3回の直木賞候補を経て、1974年に『鬼の詩』で直木賞を受賞した。その後も大阪を舞台にした作品を書き、エッセイや社会評論も数多い。
「ライティングマシーン」とあだ名されるほど、書きまくった。脚本は膨大だが、著書を調べてみるとその健筆ぶりに驚かされる。33歳から78歳までで総計225冊を書いている。41歳10冊、42歳10冊、43歳10冊、44歳12冊、45歳13冊と、40代前半の量産はすさまじい。ほぼ毎月著書が出ている勘定だ。
交遊が広く、世の中とそこで生きる人を見る目があったのは、「 女性が魅かれるのは、仕事をしている男であって、仕事をさせられている男ではない」との名言でわかる。仕事をさせられている男に魅力はない。仕事に挑戦している男の姿に女が惚れるのだ。こういう言葉は人々の心に刺さった。
48歳で書いた『女の顔は「請求書」』という本を書いて話題になったこともある。顔の専門家ともいうべき役者の東野英治郎という役者は、「顏はやはり人生の総決算書である」と語っている。東野のいうことはもっともだが、藤本の「女の顔」はやはり心に刺さる。
小説以外の本のタイトルもサビが効いている。「舌先四寸」「性神探訪問旅行」「男の遠吠え」「サラリーマン夜学地図」「人生に消しゴムはいらない」「「一升は短い一日は長い」「人生卍狂区」「無条件幸福論」など、読んでみたくなるようなエッセイだ。
井原西鶴の研究家でもあり、「元禄流行作家 わが西鶴」などその方面の著書もある。「西鶴くずし好色一代男」「サイカクがやってきた」なども藤本の西鶴好きがうかがえる。西鶴が藤本のモデルだったのだろう。私は藤本の本の読者ではなかったが、オーディブルで「言葉と文学」という講演を聞いたことがある。
「ライティングマシーン」・藤本義一の仕事の秘訣は何であったか。「プロを意識したとたんに、すべての物事に対して貪欲になるはずだ。すべてを吸収しようとする。吸収するためには、人は独自の工夫をするものである」と言う。そのために、「一日に十枚だけ原稿用紙に書こう。、、そして、五十ページ、本を読んでやろう」という決心する。その独自の工夫が多彩で膨大な仕事量につながっていったのである。
1日10枚ということは、1月300枚、1年3650枚。本1冊を300枚と換算すると、毎月1冊分の文章を書くという修行を行っていることになる。藤本義一はその決心を実行し続けた人なのだ。