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「名言との対話」12月2日。はしだのりひこ「息子よ、語り合いたいこの時を」

はしだ のりひこ(本名:端田 宣彦、1945年1月7日 - 2017年12月2日)は、日本のシンガーソングライターフォークシンガー

ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバーで、解散後は「風」「花嫁」などのヒット曲で知られるフォーク歌手。

同志社大学神学部在学中から、フォークグループで活動。1967年、加藤和彦きたやまおさむのザ・フォーク・クレセイダーズに参加し、「帰ってきたヨッパライ」「悲しくてやりきれない」「イムジン河」などのヒットを飛ばした。22歳だった。1968年の解散後は、はしだのりひことシューベルツを結成し、「風」がヒットする。1971年に「はしだのりひことクライマックス」の「花嫁」がヒットする。

私はこの「風」という歌が好きだった。「人は誰もただ一人旅に出て 人はだれもふるさとをふり返る ちょっぴりさみしくてふり返っても そこにはただ風が吹いているだけ 人は誰も人生につまづいて 人は誰も夢やぶれふり返る、、、、何かをもとめてもふり返っても そこにはただ風が吹いているだけ」。

同志社大在学中からフォークグループで活動。67年に故・加藤和彦さん、きたやまおさむさん(71)のザ・フォーク・クルセダーズに参加した。「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」などで人気を博した。

 68年の解散後、杉田二郎さん(71)らと「はしだのりひことシューベルツ」を結成し、「風」をヒットさせたほか、71年には「はしだのりひことクライマックス」で発表した「花嫁」が大ヒット。同

27歳で父親になった小柄で童顔のミュージシャンは、旅から旅への10数年間の風来坊生活を反省し、妻と10歳の息子、5歳の娘を呼び寄せ、37歳で東京に家を建てる。その5か月後に妻が倒れ、主夫生活に入る。今までの生き方を根底から変えることになった。1986年には41歳で『お父さんゴハンまーだ』(教育資料出版会)を出している。主夫生活での子育てを自然なタッチで書いた。長男は14歳、長女は9歳だろうか。

今回読んだ『親父たたかう』(文化出版局)は、1991年の発刊だ。この本では家族のあり方についての記述が参考になった。この本のサブタイトルは「息子よ、語り合いたいこの時を」だ。子育ては戦いだ。情熱と明るさをと涙の三点セットでの子育て実践記である。長男は19歳、長女は14歳。この本では思春期を迎えた息子との日々がつづられている。語り合う親子の姿がある。成長を見守る父親の愛情がある。息子は父の母校に入った。はしだのりひこは家族のだれもが気兼ねなくしゃべり合う、快適な家庭を築いた。誤診であり元気になった妻は、死んだら、この人は私の「骨をしばらく机の上に置いて置くよっ」て言っていたと語っている。「私の人生、それだけでいいかな」が妻の言葉だ。はしだのりひこの巣作り改造計画は成功したようである。

「僕はいつも、人がアッと思うようなことを考えている」というはしだのりひこは、2017年に「京都フォーク・デイズ ライブ~きたやまおさむ~と京都フォークの世界」にゲスト出演し、約10年ぶりに表舞台に姿を現した。パーキンソン病であり、車いすで登場した。享年72。早かったなあ。

以上の2019年12月2日のブログを読んだということで、2020年の11月2日に、出張中に「週刊現代」の取材を受けた。コロナ禍での2度目のZoom取材だった。はしだのりひことシューベルツの「風」についてという珍しいテーマだった。日本人の美意識、無常観、本より短詩、短詩より歌。歌はいつか詠み人知らずになる。茫々。、、。

2020年11月3日の「週刊現代」の4pの記事。私の部分は、大学入学、弁護士志望、全学ストライキ、探検部、就職、研究者、、、、最後に「あんな短い言葉で、端的に人生を表現した唄は他にありません」で終わっていた。他には、作詞した北山おさむ、ニッポン放送亀淵昭信生物学者福岡伸一という面々だった。


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