「名言との対話」7月10日。六代目尾上菊五郎「まだ足らぬ 踊りおどりで あの世まで」
六代目 尾上 菊五郎(おのえ きくごろう、1885年(明治18年)8月26日 - 1949年(昭和24年)7月10日)は大正・昭和時代に活躍した歌舞伎役者。
1886年5月の0歳でお目見え。1901年、15歳で六代目尾上菊五郎を襲名。歌舞伎界で単に「六代目」という場合は、六代目尾上菊五郎のことを指す。初代中村吉右衛門と並び称されて、「菊吉時代」をなして歌舞伎の全盛時代を築いた名優である。
六代目は歌舞伎役者で初めての文化勲章の受章者である。文化勲章は科学技術や芸術など文化の発展や向上にめざましい功績を挙げた者に授与される最高の勲章である。文化関係の分野で「初」の受賞者がでるとその分野が公に認められた感じになる。「初」がついた文化勲章受賞者を調べてみた。女性初は上村松園、写真家は田沼武能、落語家は桂米朝、歌舞伎役者は六代目菊五郎、女優は山田五十鈴、俳人は高浜虚子、映画人は黒澤明、彫刻は朝倉文夫、ガラス工芸は藤田喬平、外国人はドナルド・キーン、、、。それぞれ分野開拓のパイオニアである。歌舞伎界の文化勲章は、2人目初代中村吉右衛門、3人目は六代目中村歌右衛門である。
さて、この「名言との対話」シリーズでは、様々の分野の偉人を取り上げてきたが、六代目菊五郎の名前がよくでてくる。それを列挙し、六代目の偉大さを偲ぶことにしよう。
大正新版画役者絵の担い手として多くの作品を残した名取春仙が六代目の作品を残している。
彫刻家の朝倉文夫は約400の肖像彫刻をつくり世界一だが、その中に六代目も入っている。
小村雪岱は舞台装置家として守田勘彌「忠直卿行状記」を嚆矢として、中村歌右衛門や尾上菊五郎の舞台の装置を多く手がけている。
新劇の父・小山内薫とも交流があった。
『薄田泣菫 名作全集: 日本文学作品全集(電子版)』 (薄田泣菫文学研究会)の中の「茶話」には過去の偉人、当時の有名人が数多く登場する。人物眼が冴えている薄田泣菫は、菅原道真、良寛、大隈重信と六代目菊五郎の、噂話、失敗談、クセや見栄を面白おかしく描いている。
指圧の創始者・浪越徳治郎は、マリリン・モンローをはじめ、文壇、政界、スポーツ界などあらゆる著名人を施術している。芸術会では六代目もひいきだった。
平櫛田中の代表作の「鏡獅子」は、全長2メートルを超える大作で、完成までに20年以上かかっている。日本彫刻の最高峰だ。六代目尾上菊五郎の絢爛豪華な舞の姿を木彫りで彫り、その上に色彩をかけたもので、日本彫刻の最高峰といわれる作品でをつくった。1937年には25日間通い続け、場所を変えながら六代目菊五郎の姿を観察し続けたというエピソードも残っている。六代目はこれを見ることはできなかった。
六代目には「まだ足らぬ 踊りおどりで あの世まで」といいう言葉がある。歌舞伎という伝統ある世界を極めようとした天才であったのだ。
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