「名言との対話」9月6日。山口洋子「長い文章のなかにある句読点のごとく、人はときおり休み、病み、考え考えあるくもの」
山口 洋子(やまぐち ようこ、1937年5月10日 - 2014年9月6日)は、日本の著作家、作詞家である。享年77。
高校を卒業後、名古屋でクラブを任された。1957年、東映ニューフェイス4期生となる。2年で女優をあきらめ、19歳で東京・銀座でクラブ「姫」を開店。各界著名人を顧客として抱え、経営に手腕を発揮し、「姫」は伝説のクラブとなった。マダムはバンドマスターのようなもので、統率のために人を眺めつづけた。究極の人間のふれあいの場所を体当たりで生きていく。それが作詞と小説の材料になったと「NHK人物録」で語っている。
借金を払い終えた1968年頃から作詞活動を開始する。「噂の女」「ヨコハマ・たそがれ」「ふるさと」「夜空」「うそ」「千曲川」「夢よもういちど」「雨の東京」「ブランデーグラス」「北の旅人」「アメリカ橋」などの多数のヒット作があり、特に1960年代後半から1970年代前半にかけて目覚ましい活躍をした。1973年、「夜空」でレコード大賞作詞賞を受賞。作曲家平尾昌晃とのコンビはこの時代を代表するゴールデンコンビとして知られている。
1980年代、42歳からは近藤啓太郎にすすめられ、小説の創作活動も始め、1985年には『ぼく東奇談』で48歳で直木賞を受賞した。出版点数は100冊をゆうに超える。日本音楽作家協会会長にも就任している。作詞家としてレコード大賞、小説家として直木賞、という快挙は、阿久悠でさえ叶わなかった勲章だ。
2000年刊行の63歳で書いた『生きててよかった 愛、孤独、不信、絶望の果てに』という自伝を読んだ。人生の機微を書いた自伝エッセイである。酒場を切り盛りし、演歌の詩を書き、人を小説で描く、そういう山口洋子は男と女の生態をみる眼が鋭い。
・女はいつも体当たりで自分を盆の上に張って人生ドラマを歩いている。女は品格だ。下品は欲しがりすぎるところから生まれる。女は風呂に入らせてみて、男は思いっきり酒を飲ませてみて、はじめて本人がわかる。
・男というものは惚れられるもので、惚れるものではない。昔も今も若い男性の酒はロマンへの成長薬だ。遊び上手は「選女眼」が傑出している。
・作詞がベースの布地、作曲家は仕立て屋。アレンジ(伴奏)はネクタイやベルトなどの小道具、歌い手は洋服を着て歩く人。
病気療養中に更年期うつ病を発症する。病む直前まで老後なんて「ない」と思っていたのだが、小説に手を染めはじめて体を壊す。短命な作家稼業は内へ内へ籠っていくからだ。長寿の画家たちはスケッチやデッサンで手足を動かす。寿命の差はここにある。こういう考察も納得させられる。
このエッセイに奥の深さを感じるのは、漢字と振り仮名が効いているからだ。商売(ビジネス)、日常生活(まいにち)、落差(ギャップ)、生活(こと)、理由(わけ)、現在(いま)、開放的(アクティブ)、食物(もの)、事件(こと)、作品(うた)、酒場(ひめ)、晩餐(ディナー)、快楽(ゆめ)、銀座(みせ)、精力(パワー)、時代(とき)、情事発生場所(よるのさかば)、夫婦(カップル)、女分量(いろけ)、自己満足(なっとく)、表情(ふり)、出世(さき)、吝嗇(りんしょく)、会計(レジ)、店舗(はこ)、男性(いせい)、女将(マダム)、女人(ひと)、表情(かお)、嘲笑って(あざわらって)、彷徨(さまよう)、面々(クルー)、筆忠実(ふでまめ)、山口洋子(ものかき)。作詞家の面目躍如である。傑作は自己満足を「なっとく」と読ませ、「よるのさかば」を情事発生場所とした当て字のセンスは凄みがある。
77歳で亡くなるが、最後の作品はエッセイ「愛され力 本当のあなたはもっと愛される」(青萠堂 2009年、72歳)。作詞「トワイライトレイン/夏川玲」(2011年、74歳)となっている。
「あとがき」では、本のタイトルの「生きていてよかった」とばかり思っている訳ではない。「死んだ方がまし」と思うこともしばしばある。どこかで折り合いをつけながら、せいっぱい生きてゆかなければならない。ごくたまにある「生きててよかった」という光がほんのちらりと垣間見える。それが命綱だ。そう記しているのだが、これは今でも毎週土曜日に放映されている「寅さん」の名言と同じだ。それが人生というもののありようだろう。
山口洋子は人生の句読点として休むことや病気などをあげている。「生きててよかった」という瞬間を人生の句点とし、病気や困難を読点と捉えれば、人生の起伏をより鮮明に表現できるかもしれない。このように、山口洋子の言葉は様々な解釈を許す奥深さを持っている。