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「名言との対話」8月19日。山本二三「画家の絵を見なさい、写真集を見なさい、小説を読みなさい、写真を撮りに旅に出なさい」

山本 二三(やまもと にぞう、1953年6月27日 - 2023年8月19日) は、日本アニメーション美術監督アニメーション監督。享年70。

2019年に八王子の東京富士美術館で開催中の「山本二三展ーー日本のアニメーション美術の創造者をみた。スタジオ・ジブリのヒット作の背景画を描いた人である。

1953年長崎県五島列島福江島で生まれる。中学を出て集団就職岐阜県の石材会社に就職。工業高校の夜間定時制の建築家に通う。中学・高校時代に高畑勲が演出補佐をつとめた「わんぱく王子の大蛇退治」などのアニメをみて、絵でもこういう分野があるのかと衝撃を受ける。卒業後は働きながら夜間のアニメーション専門学校で学ぶ。上京しアニメ制作会社に入るが、ここでも武蔵野美術短大学通信教育部美術学科に進学する。そして1978年、24歳でNHKTVのシリーズ「未来少年コナン」(宮崎駿演出)の美術監督をつとめたことから人生が回っていく。高畑勲宮崎駿という天才たちの身近にいて、一緒に仕事をする幸運に恵まれた。高畑勲からは「描けない時は詩を読め」、宮崎駿からは「絵画でなく自然な風景を描いてくれ」と言われた。
山本の経歴では、定時制高校、夜間専門学校、通信教育で学んだというところに感銘を受けた。また宮崎駿が「山ちゃんはやめろと言わない限りずっと描いている」と評するほどのすさまじい描きこみの人である。ハンセン氏病を描いた「もののけ姫」では、「シン神の森の入り口から、頭が痛くなるくらいに描いた、死んだら棺桶に入れて欲しい」とまで語っていた。最近作の「希望の木」という作品でも、描いたときは「魂に導かれるようだ」と述懐している。こういう逸話があるくらいに、背景画に没頭する人である。

2018年には故郷の五島に山本二三美術館が開館している。「山本二三」展で、227点の作品を一挙公開したベストセレクションを堪能した。

以下、展覧会でみた背景画。「未来少年コナン」「ルパン三世2ndシリーズ」「じゃりん子チエ」「名探偵ホームズ」「天空の城ラピュタ」「火垂るの墓」「おのぎりころりん」「くじらぐも」「おおかみと7ひきの子やぎ」「はとよ ひろしまの空を」【Coo 遠い海から来たクー」「タイコンデロンガのいる海」「もののけ姫」「かちかち山」「ファンタジックチルドレン」「時をかける少女」「ミヨリの森」「川の光」「宇宙ステーションへようこそ」「くまのがっこうージャッキーとケテイ」「無告の森」「ハイドウナン」「世界樹の迷宮Ⅳ 伝承の巨神」「歩き屋フリルとチョコレートきしだん」「グスコーブドリの伝記」「菩提樹の春夏秋冬」、、、。

アニメの進行・完成はどうやって行われるのか?

監督やプロデューサーが作品の世界観をつくり、キャラクターイメージを決める。監督が絵コンテを描く。アニメーターがキャラクターの絵を描く。美術監督の指示で背景画を描く。背景画にキャラクターやCGを重ねて撮影・編集して、アニメ画面になる。アニメーションの「もののけ姫」クラスになると、のべ2000人のスタッフが関わる。山本は美術監督だった。
山本によると、背景画は、芸術性と職人性が半々である。芸術性と職人技が必要とされる商業的な芸術だ。背景画が美術作品の一ジャンルとして世界で認知されて、背景画の複製を作るとか、もっと希望の持てるスタイルができるなら、未来の才能も育つし、日本のアニメーションが更に活性化するのではないか。これが背景画という新分野の第一人者になった山本二三の志だ。新分野を切りひらいた人には使命がある。

山本二三は、「画家の絵を見なさい、写真集を見なさい、小説を読みなさい、写真を撮りに旅に出なさい」という。狭い専門領域に閉じこもっていないで、視界を広くとれというアドバイスだ。

ここで思い出すのは、「一流の映画を見ろ、一流の音楽を聞け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め、そして、それから自分の世界を作れ」 と後輩たちを励ました漫画の第一人者・手塚治虫の言葉だ。

広い視野、教養に支えられて、自分の専門領域が深くなる。専門バカは専門さえも浅くなる。

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