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「名言との対話」3月20日。楠部三吉郎「もう、同族経営の時代ではない」

楠部 三吉郎(くすべ さんきちろう、1938年1月1日 - 2020年3月20日)は、日本アニメーションプロデューサー

3つほど年長の兄の楠部大吉郎を助けて、シンエイ動画(株)を立ち上げ、日本のアニメーションの創業期時代に活躍した人物である。

満州国生まれで、群馬県沼田市出身。明治学院大学経済学部を卒業。1970年に兄を手伝うため東京ムービーに入社し作品制作を行う。1976年、兄とともにシンエイ動画を設立。シンエイ動画では、制作管路を担当し兄を助けた。シンエイ動画は、テレビアニメ「日本名作童話シリーズ 赤い鳥のこころ」、そして「劇場版 ドラエもん」の作品は19年手がけている。

藤子不二雄ファンはここにいる」(藤子・F・不二雄先生と藤子不二雄Ⓐ先生のファンが綴るブログ)の 2005-09-01 の投稿「楠部大吉郎氏逝去」では、「楠部大吉郎氏は、シンエイ動画設立時のメンバーであり、同社の会長を務めてきた。シンエイ動画の前身にあたるAプロダクションの社長でもあった。言うまでもなくシンエイ動画は、大ブームを巻き起こしリニューアルされながら現在も続いている『ドラえもん』をはじめ、『怪物くん』『忍者ハットリくん』『パーマン』などなど、数多くの藤子アニメを作ってきた会社だ。そしてAプロダクションは、モノクロ時代の作品から、カラーの『新オバケのQ太郎』『ジャングル黒べえ』まで、数々の藤子アニメの制作にかかわった会社である。 楠部氏は、まぎれもなく、藤子アニメの歴史をずっと支えてきた人物なのだ。」と追悼されている。この功績は、楠部兄弟のものといってよい。

兄はアニメに関する実力は飛びに抜けているが、個性が強くよく人と衝突している。ポリシーが明確であり、上司に仕えるということは苦手であったようだ。宮仕えをやめてトップに立って制約なしに活躍し、思う存分に力を発揮したのだ。後に傑物の弟から「会社の文鎮」という重しの役割を要請され、相談があったときに乗るという姿勢に転換している。

弟・三吉郎は「ドラえもん」のテレビ朝日での放映を実現する。1990年に社長となり、「ドラえもん」、「クレヨンしんちゃん」などのヒットも飛ばした。2010年にシンエイ動画テレビ朝日の完全子会社にするという大決断も行っている。同族経営から脱却し次世代に引き継ごうとする英断だった。

兄は「もう宮仕えはする気はない」として独立したのだが、弟は「もう同族経営の時代ではない」とし、兄の志だった「アニメ」の生き残りをはかったのである。兄弟そろって見事なものだと感心した。この兄弟がいなかったら、日本のアニメの姿は今とは違ったものになっただろう。

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