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「名言との対話」 6月4日。笹森清「同質の協力は足し算にしかなりませんが、異質の協力は掛け算になります」

笹森 清(ささもり きよし、1940年10月21日 - 2011年6月4日)は、日本の労働運動家。

埼玉県立川越高卒。1960年に東京電力に入り、1労組活動を行う。1991年に東電労組委員長、1993年に電力総連会長に就いた。1997年に連合事務局長、2001年から2005年まで会長をつとめた。

2001年10月には「21世紀連合ビジョン」を発表、連合の目指すべき社会像「労働を中心とする福祉型社会」を提起し、会長時代には、野党だった民主党を支援する立場を引き継ぐ一方で、小泉純一郎首相(当時)をはじめとする自公政権や財界とも積極的に対話する路線を敷いた。

2012年2月23日の「連合20年を語る」をユーチューブで聞いた。労働運動の近代史とそのトップが何を考えていたかに興味があり、見ることになった。

1989年に官民統一連合が発足する。官公労中心の「総評」と民間労組からなる「同盟」が、労働運動のナショナルセンター「連合」として大合同を果たした。政治実現力は連合、経済闘争力は産別労組という役割だった。つまり政治と経営への影響力を高めていく方向であった。私のいた航空界も航空労連と航空同盟とに分かれていたが、今は航空連合になっている。

1993年から連立政権時代に入り、1994年には自社さ連立政権が誕生するという激怒の時代が進行する。「戦後、東西冷戦が終わり、パラダイムの転換が起きました。イデオロギーを組み立て直し、これまでの右と左をいったん捨ててみよう」という笹森は 1997年に連合事務局長に就任し、21世紀への挑戦委員会をつくる。2001年には会長となる。「21世紀宣言」を行い、連合評価委員会を発足させた。中坊公平、寺島実郎、神野直彦らを委員に労働運動の未来を描こうとした。

そして笹森清率いる連合は、「労働を中心とする福祉型社会」を掲げ。正規・非正規問題を浮上させ、同一労働・同一賃金を主張した。サプライサイド、つまり、生産や供給側に立った政策を遂行しようとし、痛みを与えようとする小泉・竹中の構造改革への対決路線をとっていく。

笹森は会長退任後も、地域運動と職域運動の連携の運動を広げていく。その成果はリーマンショックに襲われた2008年から2009年にかけての日比谷年越し派遣村で結実する。「声をあげて行動することにより世論が動き、世論が動くと政治も行政も無視できないということです」。連合、労福協、労働金庫、全労済の4団体。それに日弁連や消費者連盟が加わって一大運動に展開していった。2009年の民主党政権の誕生には連合も深くかかわっている。

今も連合内には総評系と同盟系の考え方の違いが残り、憲法や原発などのテーマでは内部に揺らぎがある。そして組合員の減少傾向には歯止めもかかっていない。笹森の後代の労働組合活動家へのメッセージは、「組合は、働き方や生き方、暮らし方について提起をすべきです。そして、それを実現させるための運動体になるべきです」であった。労働側から「働き方、暮らし方、生き方」を提言せよであった。

「同質の協力は和にしかならないが、異質の協力は積になる」とう笹森の言葉は、共感した日弁連の宇都宮健児が広めた。いつの間にか、和は足し算に、積はかけ算になっていった。この言葉は、政治運動や労働運動だけでなく、広く適用できる名言である。異業種交流による新事業の創出も、異業種交流会での人脈開発もその一例だ。テレワークの進行というという環境下、仲間だけでつるむことはやめて、「異人」と付き合おう。

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